給与に対する不満は、抽象化すると大抵「このくらい欲しいのにこれしかもらえない」に収斂するわけですが、これって「あー、500億欲しいな〜」と寝転んで鼻ホジしながら言うのとほとんど同じことであって、その先には何もないよなと思ったので、よくある給与決定プロセスから逆算して給与を上げる働きかけをするとしたらどんな感じになるのかな、と思って考えてみることにしました。
こんな感じで書いたものなので、実際に自分で試したわけではありませんし、そもそも給与決定プロセスも5社分しか関与したことがないので的外れかもしれません。そんなわけである程度割り引いて読んでくださいね。あと、真に受けて怒ったりしないでくださいね

よくある給与決定プロセスの想定

  1. 会社から各部門に昇給予算が渡される(ターゲット料率の場合もある)
  2. 自己評価に対して部門長評価を出す
  3. 部門長評価を昇給テーブルに当てはめて理論値昇給額を算出する
  4. 昇給予算に応じた部門内の調整をして部門長素案を決める
  5. 評価会議において部門長素案が揉まれて(部署間調整もなされつつ)最終評価と昇給額が決まる
実際にこれがよくあるかパターンなのかは一旦脇に置いてください。多分それは重要なことではないので。
大切なのは、「決定プロセスから逆算する」という視点です。

ステップ1(予算からの逆算)

昇給予算やターゲット料率は、会社によって設定や天井の堅さが大きく変わります。傾向としては、儲かっている会社や成長期の会社は緩く、儲かっていない会社や安定期の会社は渋くなっているはず。
もし、あなたの会社における昇給の基本方針が、一部の例外を除いて昇給見送り、みたいなものだった場合(儲かっている会社や大企業にいる人には信じられないかもしれませんが、元気のない中小企業では普通にあることです)、この会社にいながら直近での大幅な昇給を目指すのは、流れ星に願うこととそんなに変わりはありません。
つまり、昇給という面に限っていえば、がんばるだけ無駄、ということになります。

ステップ2(一次評価からの逆算)

多くの会社では恣意的な運用やどんぶり勘定を防ぐ仕掛けとして評価と給与テーブルが紐づけられていますそのため、大幅な昇給のためには高い評価を獲得することが前提となります。
そして、もう少し解像度を上げると、評価は自己評価→部門長による評価(一次評価・二次評価)→最終評価というステップを踏んで決まるわけですが、これらの評価は、完全に独立してなされるわけではなく、前の評価を参照しつつ行われることが一般的です(この点も所属先によって違うはずなので実務を確認することをお勧めします)
前の評価が参照されるというとこは、アンカリング効果が効くということでもありますので、高い最終評価を獲得するための第一歩は、高く自己評価をつけることであるといえます。
たまに自分の真意よりも控えめな自己評価をつけておいて、「いやいや⚫︎⚫︎さんはこんなもんじゃないでしょ」と部門長評価で上方修正してもらうのを好む人もいますが、これは悪手です。昇給という面に限っていえば、下方修正されないギリギリラインを狙って高い自己評価をつけて評価社にプレッシャーをかけるのがお勧めです。大切なことなのでもう一度繰り返しますが、これは、こと昇給の獲得に限っていえば、という話ですからね。

ステップ3(給与テーブルからの逆算)

給与テーブルを見ると、昇給のためには、結局のところグレード(階層)を上げなければ非連続的な昇給はないということは理解できると思います。
そのため、昇給獲得のためにあなたがすべきなのはグレードを上げることとほぼイコールです。
そして、グレードを上げるためにすべきことは
  • 期首にグレードを上げることを希望している旨を評価者に明示的に宣言する
  • 期首にグレードを上げるために自分が獲得しなければならない能力や改善しなければならない点を具体的に評価者と握って、それを明確に達成する
の2点です。「いっしょうけんめいがんばる!」みたいなことではありません。それは大抵の人がすでにやっているので、必要なことではありますが充分ではないのです。がんばっている人の給料をバンバン上げていたらその会社はすぐに営業赤字になってしまうでしょう。
なお、期末ではダメです。評価者の意思決定に介入することができないので。
ちなみに、これをしたからグレードがすぐ上がるとは思わないようにしましょう。物事には順序やバランスというものがあり、昇格はあなた個人の働きだけを見て決められるものではないからです。ですが、毎期プレッシャーをかけ続ければ、評価者はきっと動きます。誰だって嘘つきにはなりたくはないですからね。

ステップ4(部内調整からの逆算)

予算やターゲット昇給率は大抵は各部門に割り振られるものなので、自部門に自分より高く評価すべき人がいる場合は、あなたのお鉢に回ってくる昇給枠も少なくなります。なので、今期が自分の番なのかはよく周りを観察して確認することをお勧めします。「今期は君じゃない」というときに昇給!昇給!と騒いでも、ただうるさいだけの人になってしまいます。潮目に合わせてメリハリをつけるからこそ騒いだときのインパクトは大きくなるのです。

ステップ5(最終評価からの逆算)

最終評価は、基本的には昇給が高すぎないかを検証する場です。なので、最終評価者が誰かを把握して、その人に「あー確かにこいつは昇給相当だな」と認識してもらう必要があります。そして、グレードが上がれば上がるほど、この必要性は高くなります。
最終評価者は経営者であり、PLの仕上がりについて責任を負っている人たちなので、そういう方が「こいつは昇給相当」と考えるのは、結局のところ「給与の金額よりアウトプットしている価値の方が高い」「こいつを昇進させた方が自分の仕事がやりやすくなる」みたいな実利に依るものか、または単なるお気に入りかのどちらかです。
お気に入りになれれば色々捗るのでそれはそれで目指すのもいいですが、やはり不確実性はとても高いので、正攻法である経営者に実利をもたらすことに注力するのがお勧めです。
実利というのはつまり、インパクトです。「全社でコンプライアンス研修を実施し、満足度は95%」でしたとか言ってる場合ではないのです。「コンプライアンス研修の結果、このリスクの発生数が昨年比⚫︎%になって重点リスクから外せました」が必要な成果だということです。あー大変。

おわりに

上で書いたのは、エアロバイクを漕ぎながら40分で書き下したものです。ちゃんとした文献に依拠したものではないですし、前提や想定にも不正確な面が含まれていると思います。
他方で、「自分は⚫︎円欲しいのに、会社は⚫︎円しかくれない」と嘆くのは、お菓子売り場でチョコレートをねだる子供と本質は変わらないので、そういうステージから一歩外に踏み出すのもありなんじゃないかな、とも(自分のことは棚上げして)思ったりしました。
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今から20年以上前に大ヒットした世界に一つだけの花では「ナンバーワンにならなくてもいい。元々特別なオンリーワン」と歌われていました。それとはちょっと意味は違いますが、掛け算や軸ずらしでライバルを減らしてナンバーワンをとりに行くという意味でオンリーワンも、一時期盛んにもてはやされていました。
でも、このオンリーワンというのはくせものだよな、というのが今回のテーマです。

存在価値の脆さ

人がナンバーワンまたはオンリーワンを目指すときは、その人自身の価値に着目しています。「その人が一番上手くやれる」「この人にしかできない」という具合ですね。
ただこれ、うまくいっている時はいいのですが、自分がオンリーワンはおろかナンバーワンにもなれないとわかったときには、呪詛の言葉となって我が身に降りかかってきてしまうのです。そしてキツいのは、ほとんどの人は、ナンバーワンはもちろん、オンリーワンで居続けることはできないということです。
うまく戦場を区切ってオンリーワンになれたとしても、そこに価値やニーズがあるとわかれば新規参入が起こってオンリーワンではくなりますし、その戦場が魅力的であればあるほど新参の人数もレベルも高くなり、自分の影は薄れていきます。そのときに自分の存在自体に価値があると考えている人は、足元が大きくぐらつくのを感じるはずです。
そして、さらに良くないことに、この足元の揺らぎは自分をもっと磨かなきゃ、みたいな清く正しいモチベーションではなく、嫉妬や不満のような黒い感情と結びつくものです。なにしろ、自分の存在価値を上げることは一朝一夕にはできませんから。

存在価値のことは忘れて提供価値に着目しよう

このような黒い感情から距離を置くためにどうすればよいでしょうか。
まず、人のことを気にしない、と言うことは挙げられると思います。ただこれはほとんどの場合は机上の空論でしかないんですよね。人のことを気にしない性格は確かに素晴らしいのですが、そういう人はそもそも人と自分を比較しないので、「ナンバーワン」とか「オンリーワン」みたいな基準に囚われていないはずだからです。
では、人と比較してしまう我々凡人はどうすれば良いかという話ですが、これは自分が今提供している価値に着目するしかないんじゃないかな、と思っています。
世界にどんなにすごい人がたくさんいたとしても、今、この場でこの取り組みをしているのはあなたであって、どこかにいるすごい人ではありませんし、隣に座っている自分より仕事ができる同僚でもありません。なので、現時点で自分が取り組んでいる仕事においては、外野にいるすごい人たちの存在は完全に無価値なわけです。
もちろん、すごい人があなたの業務にアサインされて、あなたが外されるということも起こりうるでしょう。しかし、そのような場合にも、新たにあなたがアサインされた仕事で価値を出すことに注力すればいいのです。あなたの代わりにアサインされたすごい人は、その人がどんなにすごかろうと、新しいあなたの仕事を担当することはできないのですから。

存在価値はいつのまにか上がるもの

ここまでしつこく「あなた自身の価値にこだわるな」と言っておいてなんなのですが、実際に存在価値というものは大切です。
昇進する時に見られるのは、建前はどうであれ「あなたがどういう人であるか」が主であり、転職の際にも同様です。
ただ、自分の上位互換のようなすごい人を見つめて、どうにもならないモヤモヤを抱えてうなだれていたり、嫉妬の炎を燃やすだけではあなたの存在価値は上がりませんが、日々の仕事で価値を提供し続けている人の存在価値は間違いなく上がっていきます。逆にいえば、あなたの前にいるすごい人は、日々あなたより大きな価値を提供していたからこそ、今、すごい人としてあなたの前にいるわけです。

残念ながら、僕を含む多くの人は、ナンバーワンはもちろん、オンリーワンになることもできないでしょう。でも、そんなこと別にいいじゃない。彼らは彼ら、僕は僕。素直に尊敬しつつ、自分の持ち場でがんばっていきましょう。
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1on1って、「あー、良かったな」と感じるときと、いまいち手応えというか、やった意義を感じられないときに大きな差があると思う一方で、人とのコミュニケーションの話なので、成功パターンを定型化することは難しいわけですが、名著「ヤフーの1on1」を頼りに手探りでやり続けるのもなんだな、と思い、どうすればそれを達成できるかの前段階として、これまで自分が「良かったな」と感じた1on1がどういうものだったかを言語化してみようと思う。

価値観を確認できたケース


人によって大切にしているものや、判断基準は大きく異なるものですが、こういった価値観のようなものは言葉や行動のようにそのまま表面に現れるわけではないので、推測はできても、そのものを直接確認する機会は少ないものです。そもそも、自分の価値観がどんなものかを明確に意識したことのない人も普通にいるはずですし、もっといえば、自分がこういう価値観に基づいて生きていると考えていたものが、単なる思い込みに過ぎなかったということすらありうると思うんですよね。
なので、対話を通じて自分が大切にしていることが何かを明確に認識できたときは、独特な満足感というか、大げさかかもしれないけれど救われたような感覚を覚えるんですよね。

考えを話すことを通じて腹が決まったケース


こういうことで悩んでいる、困っている、という話をしていただけなのに、自然と「悩んでいてもしょうがない。やるしかないんだよな。」と腹が決まることってありますよね。
自分でやると決めたことは、人からやれと言われたことよりがっちりコミットできるので、そういう腹決めの場になった1on1は、振り返ってみてもよかったな、と思うものです。
自分の進むべき道が見えたというか、トンネルを抜けて視界が拓けたような快感がある。

苦しさを分担してもらえたケース


思うように成果を出せないとか、同僚より自分が劣っているように思えてならない、みたいな苦しさは、基本的には自分ひとりに帰属するものなのですが、誰かと話すことで少し心が軽くなるものです。
そういう王様の耳はロバの耳的な吐露をできる相手との1on1は本当に心が苦しいときには意外に強い支えになってくれることがあります。別に話したからといって成果を出せるようになるわけではないですし、自分の能力が上がるわけでもないのですが、結局のところ、こういう苦しさは慣れの問題であって、あとになって振り返ると「なんで自分はあんなに悩んでいたんだ?」と不思議に思うことも珍しいことではないものです。
であれば、話した悩みを受け止めてもらえる相手と1on1をして苦しい期間を凌ぐことができたら、それは価値ある1on1だよね、と思うわけです。


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こう、思いつくままに書いてみて思ったのが、1on1というのは何を話すかはあまり重要ではなくて、本心をできる限りさらけ出すことが要諦なんじゃないか、という気がしてきました。
対話や問いかけが重要だと思っていたけれど、それらはあくまで本心をさらけ出すための仕掛け、という感じ。
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知り合いに「こんなマネージャーは嫌だ」という話を振ったところ、しばらく考えた上で、こんな感じでスラスラ〜と答えてくれました。

フィードバックに余計な一言がついてくる

余計な一言というのはつまり、「前も言ったけど」とか「そんなに難しいことじゃないでしょ」みたいな大したことのない言葉なんですが、それがさらにむかつかせるのだそうです。

できたことはスルーするのに、できなかったことを大目に見ることはない

その結果、いつもできてない人という位置付けになるのだそうです。

任せない・裁量を渡さない

気を回して何かしても、「勝手にやらないで」と言われてしまうのだそうです。

バカにする・ため息をつく

文字通り。「そんなんでよく今までやってこれたね」みたいなことを言われるそうです。

いつも不機嫌・イライラしてる

なので、気を使っていつも機嫌を取っていたそうです。

間違えを認めない・自分のミスはスルー

食い下がってミスを指摘するとカウンターで全然別件のダメ出しが返ってきて泥沼になるので、最後の方はもう何も言わずに黙るようになっていたとのこと。

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リアリティすごいですね。今の会社のマネージャーなんですか?と聞いたら、しばらく考えた後、「別れた元旦那の話。こんなに酷いマネージャーにはまだ出会ったことはないですよ。」だそうです。

ちょ!
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お仕事のマインドについて、
  • マネージャーはメンバーに自分の負担を分散し
  • メンバーはマネージャーの仕事を奪いにいく
ことを目指すのが良さそうだと思ったというお話です。

いつものように、アンチパターンで検証してみます。

メンバーに負荷を分散しないマネージャー

こう書くと良い人にも思えますし、実際にこういう動きをする方は「良い人」であることが多いのですが、これをやってるとマネージャーとしてやるべきことに手が回らなくなります。
マネージャーといっても多くの場合はプレイヤー仕事を完全に切り離すことはできないわけですが、これをメンバーに渡せるか、少し意地の悪い言い方をすると、過去の経験を活かして手っ取り早く付加価値を出せる仕事を手放せるかは、特に新任のマネージャーにとっての最初の関門になりやすいものです。
さらに一歩進めると、渡されたメンバーが気持ちよく仕事ができる渡し方というものもあって、ここら辺も心得ている上司の下で働いていると、メンバーとしても仕事が楽しくなって互恵関係が生まれたりすることもあります。まぁ、実際にはそんなにうまくはいかないんですけどね。

メンバーの仕事を奪うマネージャー

本来メンバーがやるべき業務を、自分がやった方が品質が高い・早いなどの理由でやってしまうパターンです。
メンバーの人数が少ない時は確かに自分でやった方が早いこともあるのですが、メンバーが3人を超えてくるあたりで必ずマネージャーがボトルネックになります。この状態になっても、主観的には自分がやったほうが早く終わるように感じ続けてしまうのが難しいところですね。
こうなってしまうと、任せないからできるようにならない。できないから任せられない。という悪循環の始まりです。「うちのメンバーは能動的に動かなくてさ」と言ってますが、その原因はマネージャーの方にあるのかもしれません。もしそうなら「それこっちでやっとくよ」とか言ってる場合じゃないですよ。

マネージャーの仕事に関与しないメンバー

給与も役割も現状維持のままで良いのであれば、皮肉でもなんでもなく、マネージャーの仕事になんてものに関与する必要は全くないのですが、ここら辺を実現したいのであれば、マネージャーの仕事に積極的に関与しに行く必要が出てきます。
また、これはマネージャーがやる仕事だろ?と感じることを頼まれるということは、あなたが少なくとも潜在的にはマネージャー候補だという事でもあります。なので、望んでいないのであれば、この段階でその旨をはっきり伝えた方がいいと思います。
基本的にマネージャーの給与が非マネージャーより高めなのは、マネージャーの仕事がクソめんどくさいものだからです。知識やスキルで他を圧倒できない人は、このクソめんどくささを引き受けなければなかなか給与を上げるのは難しいってことですね。

マネージャーに負荷を分散するメンバー

大前提として、マネージャーはいざという時のバッファみたいな機能も担うので、いざという時はいいんです。それは、当たり前にすべきことだから。問題は、平時にこれをやっちゃうことなんですよね。
典型的には、
  • 原案や仮説を持たずに相談する
  • 依頼された仕事を完成させない(8割くらいの出来で終わりにしちゃう)
  • 確認されるまで必要な報告をしない
とか。
マネージャーがいなくてもやっていることは、マネージャーがいる時にもやりましょう。
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今日の1人AC用のエントリーとしてマネージメント系のやつを一本予約投稿していたのですが、それを一日繰り延べてHuubleさんが主催してくださった法務の交流会について思いつくままに感想を書くことにしました。

外に出て、人と話さないと得られないものはやっぱりある

ここしばらくずっと夜の予定は入れないようにしていたので、他社の法務の方とお話しする機会もかなり限られていたのですが、やっぱり人と直接会って話さないと得られないものがあるな、ということを実感しました。
他方で、これはもっぱら僕のキャパの問題なのですが、一回でしっかり話せるのは2〜3人くらいまでだな、ということも再確認しました。
その意味で、立食パーティーとかでいろんな方と次々とコミュニケーションを重ねられる人はすごいですよね。あれは特殊能力の一種だと思う。

年齢は何の目安にもならない

昔から年齢はほとんど気にしていなかったけれど、自分が中年になり、若くて尊敬できる人とたくさん出会う機会を得たことで、ますますそう感じるようになった。
自分が若手だった頃は、すごい人はみんな歳上だったのだけれど、それは年齢を重ねたからというのが理由ではなくて、単なる年齢構成の問題であって、要は自分より年下の人数が単に少なかったというだけのことだったのこもしれない。もちろん経験による円熟という要素は間違いなくあるのだけれど、それはそれとして、すごい人は、若い頃からちゃんとすごかったのだ。

BLJは偉大だった

法務の交流会といえば、という文脈でBLJの話を複数の方から聞いて、やはりあの雑誌は、法務担当者にとって特別なものだったのだろうな、ということを実感した。
初めてお会いしたのはBLJの読者交流会でしたね、という話が通じなくなる日も近いのだと思うと、少し寂しく感じるとともに、今回のような新しい取り組みがその代わりになっていくのだろうな、とも思った。

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すぐに探せない


目当ての情報を探しだせないナレッジ管理は、当然使いものになりません。
こう聞くと当たり前のことなのですが、
・PDFにOCRをかけていない
・メタ情報が不十分/不正確
・検索精度が弱いシステム内に保存されている
・動作が遅いシステム内に保存されている
・フォルダの深いところに保存されている
みたいな形でそこそこ見かけることもあるのがこのパターンです。
変なシステムにきれいに保存するくらいなら、ファイル名の命名規則をきっちり決めてGoogleDriveに保存したほうがよっぽどマシだったりします。

優先度・重要度ががごっちゃまぜになっている


締結済み契約書のように重要度に差があまりない情報群であればほとんど気にしなくても良いのですが、玉石混交の情報を何も考えずに貯めても、そこに生まれるのはナレッジではなくゴミの山だったりしますからね。
依頼者と法務とのやり取りなんかが典型です。生のやり取りに価値があるケースはごく僅かなので、共有すべき情報を取り出して、そちらを蓄積するようにしましょう。

抽象化されていない


抽象化されていない情報は、再利用しにくい情報でもあります。
仕掛中の契約書案みたいなものが典型ですね。類似案件だからといって参考にしてみたら、交渉を経て譲歩した条項が入っていたり、個別案件特有のケアがされていたりして却って気を使う、みたいな経験は誰でも一度はしたことがあるはず。
雛形化(抽象化)して、具体的な事案から切り離すことで再利用しやすくしましょう。

余計な情報が書いてある


上記の3つは手を加えなさすぎて使えないパターンですが、逆に変に手が加わっているせいで使いづらいパターンもあります。
例えば、手順書以外の情報がたくさん書かれている手順書なんかが典型例ですね。知識をひけらかしたいタイプの人が暇だからといって作った資料に起こりがちなやつです。
目的のために必要な情報にしぼりましょう。

古い情報が残っている


情報は必ず古くなるので、古い情報が紛れ込むことは避けられません。問題は、古い情報が残り続けることです。
その原因の一つは、「古いな、これ」と気づいた人が、更新せずに閉じてしまうこと。
気づいた人が軽やかに更新できる仕組みを作って展開しましょう。更新のルールと判断者を決めるだけでOKです。判断者は別に部門長でなくてもOKだし、情報によっては担当=判断者にするのもありですよ。
そしてもう一つは、更新しづらい媒体で書いてある情報。
ナレッジ共有用途でパワポを使うのは、どうしてもその必要があるときだけにしておきましょう。情報以外に配置を気にしなければならず、ページ制限もあるので更新しづらく、情報が陳腐化しやすくなります。

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今年は思いつきでAdventCalendarを一人でやってみようと思ったのですが、どうなるんでしょうか。
まだ先だと思っていた12月が、いつの間にか1時間後に迫っています。
がんばれ、自分!

---書いたらこの下にリンクを貼っていくつもり---
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昨日、法務部スベースという名前で世古さんとやっているpodcastで気づいて大興奮したのですが(大興奮している様はこちらからどうぞ)、アレオレには2種類あるみたいなんですよ。みなさん、ご存知でした?

1つ目は、あれ俺詐欺のそれで、もはや説明不要だと思いますが、要は手柄の横取りってやつですね。で、今回存在に気づいたのはもう一つのアレオレで、それは「あれやったの俺たちなんだよね」の略です。

左利きのエレン(ジャンプ+で読める&Netflixにドラマ化された作品があります)の登場人物に「流川俊」がいます。彼はコピーライターを志望していましたが願いは叶わず広告代理店で営業を担当しています。
天才アートディレクターの神谷は、制作したCMがカンヌで受賞したことを、担当営業だった流川に電話で知らせて、それを聞いた流川は「おめでとうございます!」と喜ぶのですが、これを受けた神谷の一言が痺れるのです。
おめでとうじゃねえよ。やったな、って言え
〜Netflix版第4話より

神谷さんは、「このプロジェクトは、俺たちの仕事だ」と言っているんですよね。
これを受けて流川は、自分の仕事に強い誇りを持てるようになります(その直後にどん底に突き落とされるわけですが、まぁそれはそれとして)

こんな具合に、あれは俺たちがやった仕事だと、自分事として語れる人が多いプロジェクトは良いプロジェクトだと思うし、そういう人を作れるかは、マネージャーの腕にかかっているんですよね。
神谷さんのような一言を、伝えるべきタイミングで伝えるべき人に伝えられる、そして、アレオレな人をたくさん生み出す、そんな人に自分もなりたいな、と強く思ったのでした。
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今日が現職の最終出社日でした。
次の会社は来月からです。というか、来週からです。

今回は4年9ヶ月と自分にとっては異例の長期間在籍でしたが、要所要所で発生した組織再編とM&Aの影響で、職務経歴上の在籍企業としては新たに3社分獲得することができ、在籍企業獲得効率としてはなかなかだったのではないかと思います。
伝わらないとちょっと怖いので念のために申し添えておきますが、これは自虐です。こんなのが良いことなわけが無い。

なお、今度こそこれが最後の転職になるんじゃないかって気がしています。
もう誰にも信じてもらえないかもしれませんが、ここまで強い確信を抱いたのは、実に4年9ヶ月ぶりです。
今度は本当に、最後だと思いますよ。たぶん。

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