車に乗り込んで、どこかに向けて走り出そうとするんだけど、さて、どこに向かって走ればいいんだろう。
なんてことを考えていたところで、おもむろにカーナビのディスプレイに明かりが灯り、目的地を表示すると同時に、「次の信号を、右、です。」って感じで指示をしてくれる。

果たしてその目的地が行くべき場所なのかはわからないけれど、でもまぁ自分でも明確に「行きたい」って希望している場所も無いから、とりあえずカーナビの指示通り走り出す。

でも、カーナビが勝手に設定した目的地へ向かって走っているうちに、やっぱり違うところへ行きたくなってカーナビの設定を変えると、即座に新しい目的地への距離と、次の角をどちらに曲がればいいのかを教えてくれる。

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僕がこうありたいと考えている「親像」は、こんな感じです。
「子供には自由に生きて欲しい」っていう願いはミクロで言えば確かにそのとおりなんだけれど、その前提として、「この目的に向かって生きるんだよ」という指標がないと、ちょっとした交差点に出ただけで道に迷っちゃうんじゃないだろうか、なんてことをkakoさんの今日のエントリーを読んで思ったのでした。

まず、親は明確な到達地点(こんな大人になって欲しい)を子供に提示して、そこに至る道筋をはっきりと浮かび上がらせる。そうしないと、子供が自分の意思で「これをやりたい」って考えた時に、果たしてそこに向かって走り出していいかについてうまく決断できないんじゃないだろうか。
だってやっぱり、比較対象が無いと、それが「いい」か「悪い」かを絶対評価で判断しなきゃいけなくなっちゃうし、絶対評価で判断する事はとっても難しいことだから。