2004年09月

あのね、
今日ね、アクセス解析の検索ワードをみたらね、
「下請法 ムカツク」
ってのがあったの。

でね、うちは下請事業者になることが多いから、びっくりして漏らしちゃったの。

だからね、僕はね、悪くないの。

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と、まぁ、脳みそが半分溶けたようなことを書くのはこのくらいにしておいて、と。

今年の4月から施行された改正下請法(下請事業者を保護する法律)は、今まで「下請会社<犬」みたいな扱いを少なからず受けていた(と聞いている)テレビ番組制作会社や運送会社にも適用されています。

で、この検索キーワード。

この検索をした方は、何にムカついていたのでしょうか・・・

こわーい公取?
調子に乗っている下請け?
それとも・・・自社の管理部門?


ご飯食べながら見ていたのですが、一瞬箸が止まってしまいましたとさ。
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昨日の夜、雑想blogを書いているぽんさんと池袋で飲んできた。

別に、面識があったわけではなく、ちょっと仕事のお手伝いをメールでした事がきっかけになって、「飲もうか」という話になったので、つまりは僕もヤツぽんさんもお互いの外見を知らないので、お互いに勝手な(そしていいかげんな)想像をしていた。

僕は、ぽんさんを、「ひょろっとした、CPUがDDRSDRAMでTCP/IPを通じてIMAP4なんだよね」みたいな人だと思っていて、ぽんさんは、僕を「カッチリとしたアルマーニのスーツを着こなす、趣味はポロ、特技はワインのテイスティング」みたいな人だと思っていたわけだ。違うとは言わせない。

まぁ、ぽんさんの僕に対するイメージはおおむね合っていたわけだけれども、僕のぽんさんに対して抱いていたイメージは、実際とはかなり異なっていた。
本人いわく「良く『インテリヤクザ』と言われる」のだとか。うん、まぁ、ね。わかるよ。

で、飲み始めたのが9時半だった事もあって、昨日は久しぶりに終電まで飲んだ(というか、店を出て駅まで走った)のでした。

とにかく、自分とほとんど同い年の人の波乱万丈人生を聞けたのは面白かったですよ。
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夏休み中にちょこちょこと書いた一連の身の上話に、思いもかけずコメントを頂きました。

で、これを受けた我が家の会話
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その1
その2


タクシーで帰宅した翌朝、電話で話していても埒があかない(違う論点での主張がぶつかり合うだけで、話し合いにならない)ので、文章のやり取りをしなければ話が前に進まないと思い、両親に宛ててFAXを送りました。
今となっては詳しい内容を思い出すことはできないのですが、僕は「『両親が心配してしかるべき時に、兄のそばを離れた』という一点以外に非は無い」と確信していた(今もそう思っていますけど)ので、僕と彼女に向けられたいわれの無い誹謗
について、かなり強く糾弾したことは確かだと思います。

そして、このFAXに対する返信は、これもまた詳しい内容は思い出せないのですが、「どれだけ心配しているかわかってない・・・云々」「非常識である云々」といった内容でした。
つまり、結局、文章のやり取りという方法でも、主張をぶつけ合うだけという状態に変化は無かった、という事だったんですよね。


両親は自分達の思いをぶつけ、僕はそれを辛らつな言葉でプチプチとつぶしていく。
(どっちもガキですね^^;)

そんなやり取りを何回か繰り返しているうちに、「彼女と別れないのなら親子の縁を切る」と書かれるようになりました。

最初は、「ついに究極のネタを使って脅しにきたかぁ」くらいにしか思っていなかったのですが、何度か真意を確認しても、「縁を切る」と繰り返すばかりだったので、「僕としては縁を切られたくはないけど、あなた達がそう思うなら僕としてはどうしようもないです。僕は彼女を選ぶので、この家を出ることにします。」と返信し、その返信を送った翌日に荷物をまとめて家を出ました。
(もちろん、彼女と経済的な面で事前に相談はしましたよ。言ってみればヒモになるわけんだから。)


ところで、あとで兄から聞いた話では、あれだけ自分達から「縁を切る」と言っておきながら、僕が彼女を取って家を出て行ったことに怒っていたそうです。
うーん。わけがわからん。


と、まぁ、こんな経緯で、僕は世に言う「勘当」ってやつをされてしまったのでした。

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この後も、「最後の司法試験の受験」「就職」「兄とのすれ違い」「結婚」「祖母の死」「出産」「再会」「兄の結婚」「再トラブル」と、いろいろなイベントが盛りだくさんなのですが(まるで「北の国から」みたいだ)、とりあえず僕が家を出たところで一区切りついたし、これ以上続けると今までここを読んでくれていた方がブックマークからはずしてしまうかもしれないので ^^;)この辺でいったん終了することにします。

なお、僕の気持ちに忠実に書くと、どうしても両親に対する恨み節になってしまう(そして、他人が他人に宛てた恨み節はとてもつまらないと思う)ので、できるだけ中立的な立場から淡々と書くように注意しました。ちゃんと成功しているでしょうか・・・

(しかし、最近「企業法務」と関係ない話題ばっかりだな、おい)
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その1

新しい生活を始めて数ヶ月したころ、「(彼女の家に行く前に一緒に住んでいた)兄が下血をして入院した」との連絡を受けました。

昔から病気をしない兄弟だったので、「入院した」という事実にびっくりして、あわてて病院へ向かいました。
知らせを聞いたときは、一体どんなヤバイ病気になったのかと心配していたんだけど、急性腸炎だったとのことで、ご飯はしばらく食べる事はできないものの、病気としてはそんなに悪質なものではなかったようで、一安心しました。

点滴を持ち歩きながらも、普段と変わらない感じで話ができている様子を見て、「これなら大丈夫だな」と判断して(これがまずかった)着替えなどを渡した後、両親に電話で病状の報告をして、彼女の家に戻りました(そして、これもまずかった)

そしてその夜、うちの両親から、「(僕が兄と二人で住んでいた)家に電話しても誰も出ないんだけど、どこにいるの?」という電話がありました。
両親としては、僕が兄と一緒に住んでいた家、つまり、病院の近くにいる事を期待していたようで、僕が彼女の家にいると知り、激怒しました。
あんまりちゃんと覚えていないんだけど、両親の怒りは相当なもので、かなりボロクソに罵倒されました。
僕が兄の入院の知らせを聞いて驚いて心配したように(というか、それ以上に)、両親も驚いて心配していたであろうことからすると、「病院の近くにいて欲しい」という思いは理解できるけれど、それにしても酷いことを言われたように記憶しています。


とりあえず、その時は「とにかく家に戻れ」と言われたので、ショックで泣き崩れている彼女を残してタクシーで兄と住んでいた家に戻りました。

文章で淡々と書くとすんなり事が進んだようにも読めるけど、実際は、「あぁ、修羅場ってこんな感じを言うのかな」と思えるような状態でした。
(理由はわからないけど、母親はショックのあまりトイレで吐いていたらしい)

そして、その翌日から、僕と両親との関係に深くて広い溝を作ることになるFAXのやり取りが始まったのでした。

(まだ続きます)
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全くの個人的なおはなしであり、しかも面白いわけでもないので、読んでくださっている方には申し訳ないのですが、夏休みという時間のあるときにこの件の経緯を記録しておきたいと思い、つらつらと書いています。
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確か、3年前の夏だったと思います。
図書館で試験勉強をしていたときに、今では妻になった当時の彼女から「お父さんがガンになって、余命は半年という告知を受けた」という電話がありました。
(義父の病気の経緯はこちらで書きました)

その電話を受けたときに考えたのは、「僕に何かできることは無いのだろうか」ということでした。
でも、僕はしがない受験生。金もないし、医学的な技術も知識も無い。まぁ、できる事なんて、あるわけないんですよね。
ただ、「この人のそばにいて、心の支えになってあげる事はできるかもしれない。」とは思いました。
で、そう思った次の瞬間には「わかった。じゃぁ、僕の両親にも事情を話すから、できるだけ一緒に居よう。」と言ってました。
今考えると、強固な「マイ常識」を持っている僕の両親にこんなことを理解してもらえるわけはないってすぐに気づくことができるけれど、悲劇の主人公的な気持ちに支配されていた当時の僕は、「まぁ、大変だとは思うけど、話せばわかってもらえるだろうな。」なんて思ってました。笑っちゃいますよね。

そして数日後、田舎に帰って事情を話し、「彼女のそばにいたい。勉強は続ける。」といった趣旨の話をして、案の定スーパー大反対を受けました
(「お前がそばにいたからといって、支えになるとは限らない」とか「思いやりのつもりが迷惑になることだってあるんだぞ」とか、まぁ、そうゆう話です。そりゃそうだ。僕だって、自分が親だったらそう言うよ。)
で、その日一泊して、翌朝、「お父さんとお母さんの気持ちはわかった。でも、とりあえずは自分が決めたとおりにやってみる。間違っていたら、そのときは考え直す」といった事を告げ、東京に帰ってきました。

そして、それ以降、基本的には彼女のアパート(電車で2時間くらい)で、半同棲生活を始めました。
とはいっても、日中、彼女は仕事へ、僕は図書館へ行っていたので、まぁ、一緒にいる時間なんてそんなに長くは無かったんだけれども。

でも、そんな不安定な状態は、ある秋の日に起こったトラブルをきっかけに、大きくバランスを崩す事になったのでした。

(続きます)
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こんにちは。

今月のリクナビネクストの履歴書注目度ランキングは・・・続きを読む
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先日、遅れて取った夏休みの予定について奥さんと話をしていたら、ふと
「いろいろ旅行は行ったけど、げんちゃん(僕のことです。)と行ったオーストラリアがやっぱり一番思い出に残ってるなぁ。」
と、何気ない感じで言われました。

で、僕もそのときは何気ない感じで
「へぇ。」
位にしか返事をしなかったんだけど、内心はすごくうれしくて、実は数日たった今でもちょっぴりシアワセな感じがほんのりと残っています。

というのも・・・
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数年前(もしかしたら今もそうかもしれないけど)「生きる意味を探す」ってのが少し流行ったことがあったけど、既に多くの人が気づいてしまっているように、「生きる意味」なんて、探して見つかるもんじゃないはずだ。メガネやリモコンじゃないんだから。

でも、つらい思いをしたときや、何かを決断しなければならない場合に、「自分が何のために生きているのか」を自覚しているかどうかってのは、小さくない意味を持っているみたいだ。少なくとも、僕は、そう感じた。

探しても、見つからない。
でも、持っていなくちゃならない。

だったら、自分で創り出しちゃうのが一番手っ取り早いんじゃないかと思う。

そんなわけで、僕は奥さんと結婚するときに、「奥さんか僕のどちらかが死ぬときに『あなたと結婚できてよかった』と言ってもらう。というか、言わせる。」ために生きようと決めたのでした。
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という目標に一歩近づいたような気がしたから。


時々発作的に一週間履きっぱなしの靴下みたいなクサイことを書いちゃうんだけど、まぁ・・・それもいいよね。時々ならさ。

ね?
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今朝、総武線にがたごと揺られているときに、ふと視界に飛び込んできたスポーツ新聞の記事に、目を奪われてしまった。

なんと・・・

佐藤幸治先生が、アメリカでボクサーとしてデビューするのだとかっ



・・・


・・・・・・



えぇぇぇぇ!


その御歳であたらなる領域に挑戦なさるおつもりですかっ?

俗人には想像もできない転身ぶり、もう現世には興味が無いと理解してよろしいのでしょうかっ。

というか、司法制度改革は、放置されるおつもりですかっ。

そして、いくらなんでも、今回のエントリーは「っ」が多すぎでしょうかっっっっっ
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ごほごほ・・・
え〜、
一部の方以外には理解不能な話題なので、「意味不明だなぁ」と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、まぁ、気にしないでください。
ただ、この一部の方には大ウケであったと強く信じております。
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Microsoft Officeのパワーポイントには、バージョン2002から、軌跡という便利な機能が追加されました。

にもかかわらず、(少なくとも僕の周りでは)紙芝居みたいな、動かないスライドしか見かけません。

あぁ、もったいない。
あまりにも、もったいない。

というわけで、ちょっとした工夫で、動きがあるわかりやすいスライドを作れるんですよ、ということをお伝えする為に、こんなコーナーを作ってみました。

・・・うまく行くでしょうか。
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