2010年03月

企業法務マンサバイバル : 【雑誌】BUSINESS LAW JOURNAL No.26 5月号 ― 仕様書のチェック、してますか?で、
@kataxさんみたいに、自身でプログラムを書けるぐらい技術に通じて仕様書の中身もチェックできる人が、法務パーソンとしては理想的なんでしょう
と言及をいただいたので、返信代わりに自分が感じていることをポストします。


僕は今まで、システム開発やソフトウェア開発を営んだり発注する会社に法務として3社所属したことがありますが、そのいずれでも、契約締結段階で検査基準や瑕疵の基準として有効に機能しうる程度に仕様がしっかりと定められていることは稀だったと思います。
そしてこれは、発注側の怠慢、つまり、まともな要求仕様やRFPを書かない(というか、書けない)ことに起因していたように感じます。

このような状況下では、契約書に添付されている仕様書という名の「よろしくやっといてよ」をちょっと長くしたような書面を精査できることよりも、どのようにして(本来の意味の)仕様が定まり、変更されるのかを現場に即してしっかり定められることのほうが有意義なんじゃないかと思うのです。

よく「現場を知らなければ良い法務にはなれない」と言われることがありますが、この「現場を知る」というのは、現場の営業や技術者と同じようなスキルを持つという意味ではなく、どのように営業や技術者が動くのかを把握するということのはずです。
その意味では、法務がプログラミングをできるようになっても、直接のメリットはほとんど無いと思うのです。

というわけで、プログラミングに縁遠い法務の皆様、ご安心下さい&もっと現場の話を聞こう!という趣旨のエントリーでした。

ではでは。
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BLJ(Business Law Journal)主催の読者交流会に参加してきました。
今まで毎回申し込んできたにもかかわらず、システムを理解できておらず結果的にドタキャンしてしまったり、外せない予定が入ってしまったりと、なかなか参加することができなかったのですが、今回ようやく無事参加できました。5分遅刻しちゃったけど。

twitterやブログで普段からお見かけしていたものの実際にお会いするのは初めての方や、このブログを読んで頂いている方、いかにも法務という方や、逆に(僕に言われたくはないだろうけど)全然法務に見えない方、さらには現在まさに喧々諤々のやり取りをしている取引先の方まで、多種多様な方とお話しできたのはとても楽しい経験でした。

まだ参加したことのない法務の方は、ぜひ1度は出てみるべきだと思います。
継続的なイベントには、どうしても旬(一番おもしろい時期)があるのは避けられないですし、そもそもいつまでBLJさんに主催して頂けるのかもわからないので、「いつか出てみよう」なんて思ってたら後悔することになるかもしれないですよ。

BLJ編集部のみなさん、お疲れさまでした。今後も予算の続く限りがんばってください。料理もおいしかったです。たくさん余ってしまっていたので、ドギーバッグに詰めてもらって持ち帰りたいくらいでした。お小遣いを増額してもらえたら、定期購読することをお約束します。

最後に、印象に残ったことを順不同でメモっておきます。
・カバちゃん→藤井フミヤ→大野君→やっぱりカバちゃん
・ブラジル国籍
・財産MAX
・畑で研修
・3人しかいない。そして、最終的なシワ寄せは眼鏡の人に。

こういった会は、参加者同士の知り合い率が高くなってくると、「前回○○さんは××だったよね〜」みたいな内輪ネタが跋扈し始め、イベント自体のおもしろさがすごい勢いで減退していくのが常なので、悪い意味の常連にならないよう気をつけたいです。
というわけで、またね〜。
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債権回収系の本は、テクニックを列挙した無味乾燥な本が多い印象があるけど、今日読んだこいつは読み物として普通におもしろかったので、簡単にご紹介。

タイトル:条文にない債権回収のはなし

要は、債権回収の現場を知る元弁護士さんが、条文はひとまずおいといて、実際に回収する現場でどのように行動すればいいのかのノウハウを次々に披露してくれている本なんだけど、その攻めっぷりがすごいのです。

このエントリーのタイトルも、実は納入した物を引き上げる際のノウハウの一つなんだけど、これだけでは意味が分からないですよね(笑)
ここくだりは、この本の中でも1、2を争うおもしろい部分なので、購入される予定がない方も、もし本屋さんで見かけたら70ページくらいから立ち読みされることをおすすめします。
その生々しさに、虜になること請け合いです。

この他にも、
不動産の譲渡などを対象とする詐害行為取消訴訟の原告と被告が和解し、半分ずつ不動産を持ちあうことになった場合、原告は424条1項の転得者にあたり、原告が不動産を取得する行為も詐害行為取消訴訟の対象となりうるが、時期がたつにつれ他の債権者の詐害行為取消訴訟を推進するエネルギーは急速に減少するので、和解は情勢を見ながら行うことが重要。(9ページ/要約)
のような、へぇ、という話から、
売掛債権の譲渡を要求する場合は、売り先の固有名詞をびしっとぶつける。「何かください」でいいものが出てきたためしはない。(28ページ/要約)
のような、「確かに…」と唸らされる話、さらには
窃盗罪にならない商品引揚げ大研究(65ページ)
のような秀逸なタイトルの章もあり、一気に読んでしまいました。

ちなみに、文中、「回収できるものも回収できなくなるので窃盗罪にならないようにしましょう」という趣旨の記載があるのですが、この注意喚起は、この本の性格をとても良く表していると思います(笑)


なお、7年前に出版された本なので、債権譲渡登記に関する言及がなかったり、破産法などの条文が古かったりしてますので、気になる方はご注意ください。

ではでは〜。

条文にない債権回収のはなし
古曳 正夫
商事法務
売り上げランキング: 82398
おすすめ度の平均: 5.0
5 債権保全と債権回収の具体策がわかる
5 マジでいい本です

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昨日、ランドセルが届いた。
11月に注文してから、かれこれ4ヶ月待ったことになる。
とはいえ、当初は3月下旬になると言われてたので、前倒しではあるんだけれども。
「届いたランドセルを見て、娘はとてもよろこんでいるよ」と、妻からメールがあった。
このランドセルは、僕の父と母が買ってくれたものだ。
娘がまだ赤ん坊の頃から、「ランドセルは買ってやる。」と言っていた。

11月のその日、僕たちはそもそも、ランドセルをただ下見するために鞄屋さんに立ち寄っただけだった。
いくら「買ってやる」と言われてたとはいえ、お金だけ出してもらうのは嫌なので、実際に買うのは父と母が上京したときにしようと考えていたからだ。
でも、その鞄屋さんは、11月下旬には注文を締め切ってしまうとのことで、しかも見本を思いのほか娘が気に入ったので、電話で父と相談し、その場で注文をしてしまった。

鞄屋さんは、サンプルのランドセルを背負った娘に声をかけ、写真を1枚撮ってくれた。
古いデジカメで撮られた写真の画質は決してきれいではなかったけど、娘はとってもいい顔をしていた。
だから僕は、その日のうちに、父に写真をメールした。
父も母も、「すごく似合ってるね」と、喜んでくれた。

その数日後、父の容態が急変し、そのまま、あっけないとしか言いようのないほどにそのまま、亡くなってしまった。

そして、このランドセルは、父が娘に遺してくれた、最後のおくりものになった。

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今朝、ふとんの中でまどろみながら、おばあちゃんに電話でお礼言わなきゃね、なんてことを娘と話をしながら、「おじいちゃんも、きっと喜んでるよ」と、娘に言ってみた。
6歳の子供にとって、4ヶ月という期間は、きっと短いものではないから、おじいちゃんとの別れも、彼女にとってはもう昔話になっているのかもしれないな、なんて思いながら。

すると、娘は突然、僕に「お手紙、読んでくれたかな。」と、尋ねてきた。
僕は、娘が何を言っているのか、ぜんぜん判らなかったので、「何のお手紙?」と聞き返した。
娘は、「おじいちゃんにあげたお手紙。」と、こたえた。

それを聞いた瞬間、まるで録画されたビデオを見ているかのように、僕の脳裏にあのときの記憶が鮮明によみがえってきた。
 ー 娘は、父が納棺されるときに、手紙を一緒に入れていた ー
娘はそのことを言っていたのだ。

娘がその手紙に何を書いたのかは知らない。
でも、娘は、その内容までしっかりと覚えているようだった。
「おじいちゃんの葬儀」は、娘の記憶にしっかりと(もしかしたら僕の記憶よりもしっかりと)残っていたのだ。

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僕は、あの濃いピンクのランドセルが、父が娘に遺してくれた最後のおくりものだと思っていた。
でも、父はランドセルを買った後に、自分の身を以て、肉親との別れの寂しさや、つらさ、無力さを、娘に教えてくれていた。
もしかしたら、それこそが、父が本当の、本当の最後に遺してくれた贈り物だったのかもしれない。

そんなことを思いながら、僕は、ふとんにくるまりながら、少し涙ぐんでいた。
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今まで経験してきたことの中で、人生観が大きく変わったできごとと言えば、一つは子供を授かったことで、もう一つは箱(正式名称は「自分の小さな「箱」から脱出する方法」)を読んだことでした。
で、まだ確信はできないけど、iPhoneアプリを販売したことは、もしかすると三つ目としてそこに加わることになるかもしれないなと、最近感じ始めています。

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おかげさまで、iPhone向け六法アプリのパーフェクト六法は、12月の発売以来、ベレンコ中尉が乗るMiG-25のように、超低空で、かつどっしりと安定した飛行を継続しています。

アプリの販売を始めてからしばらくは、今までの苦労(3か月分の通勤時間と昼休みをほぼ全て捧げた)がようやく形になったな、としか感じていなかったのですが、リリースから2ヶ月以上経過し、新しい言語と開発環境に戸惑いながらコーディングに勤しんでいた日々が過去のものになっていくにつれ、少しずつ売り上げを見る感覚が変わってきたことに気づきました。目の前にある売り上げと開発の苦労とが、次第に結びつかなくなってきたのです。
いや、もっと率直な言い方をすると、「アプリが売れた」というより、毎日夜8時になるとお金が補充される口座を手に入れたように感じてならないのです。

もちろん、潜在顧客の絶対数が多くないことに加え、アプリ自身の癖が強めであることも影響してか、売り上げ金額自体は微々たるものではあります。
それでも、いままで経験したことの無い「費やした時間から切り離された収入」ってやつは、今まで基本的には時給・月給ベースでの収入しか得てこなかった僕にはかなりインパクトが大きいものであることに違いはありません。
ちょっと大げさですけど、まるで、今まで気にも留めていなかったドアを開けてみたら、その先にはまったくの別世界が広がっていた、といった感覚です。

たった数百円のアプリが、人の考え方や、もしかすると生き方にまで影響を及ぼすことになるなんて思いもしていなかったので、今はただ、ひとごとのようにおもしろがってこの状況を眺めているだけですが、今年の年末、毎年恒例の「今年書いたエントリーを読み返す」という作業をした時に、この経験が「そういえば、”三つ目”として加わってる!」なんてことになってたらいいな、なんて思った昼休みでした。

ではでは。
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