2011年01月

こんばんは。
みなさん、アジアカップ応援してますか?

さて、先週末の197xでiPhoneアプリ開発をはじめるにあたってMacを調達したお話をLTしてきたので、スライドシェアにスライドをアップしました。

LTはどれもおもしろかったんですが、中でもmizuno_takaakiさんの中国話が特に記憶に残りました。

そんじゃ!

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GPLによりproprietary(企業所有)コードの公開を強制させられる」というFUD(嘘)を一掃するというエントリー経由で
The GPL is a License, Not a Contract, Which is Why the Sky Isn't Falling
というエントリーの存在を知り、そのタイトルに違和感を覚えたのでちょいと本文も読んでみたら、意外なことが具体的な形をとって見えてきたので驚いた。

注目してほしいのは第3段落目(釣りのライセンスを例にとって)
Why isn't it a contract? Because there are no further agreed-upon promises, no reciprocal obligations. It would be a contract if I said to the owner of a pond: if you give me a license to fish in this pond, I'll give you half of all the fish I catch. In that scenario, each of us has voluntarily entered into a kind of promise. We each give the other something of value, so if I get the license and then I don't give over half of all my catch of the day, the pond owner can sue me for not living up to the terms of the contract.

・・・これって、解説書で読んでもさっぱりピンとこなかったconsideration(約因=契約は対価性が無ければならない)の話じゃないか!
契約書のWHEREAS clauseの後に書くIN CONSIDERATION OF〜って飾りみたいに思ってたけど、ちゃんと生きてる発想なんだね〜。
本旨とは全然関係の無い部分だけど、「へぇ」って思ったのでエントリーにしてみました。


実務的には、GPLが契約でなければ、GPL違反は著作権侵害、つまり差し止めや損害賠償の対象になるだけだけど、GPLが契約であれば、ソースコード開示の規定は「派生ソフトウェアを作成した場合は派生部分のコードを開示しなさい」というライセンシーの義務としてが現れるわけで、当然(差止や損賠に加えて)ソースコード開示請求訴訟が立ち得るって違いとなって現れるわけですね。

なお、引用の引用になっちゃいますが、上記エントリーでは以下のような記載もありますので、念のためお伝えしておきます。
As a practical matter, copyright holders often raise both types of claims in litigation: breach of contract and copyright infringement. In many of those cases, however, the copyright holder has adopted a software license that is undoubtedly meant to be a contract."


ではでは〜。
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先日、奥さんをして「そんなに好きならそれと結婚したら!」と言わしめるまでに濃密な時間を共にしてきたiPod touchを紛失してしまい、しばらく失意のあまりいつも通り仕事が手につかない日々を過ごしていたわけですが、あまりの落胆ぶりを見かねた奥さんがケータイ売り場でGalaxy Sを指さして「これに機種変すれば新しいの買うのと同じことなんじゃないの?」とここ数年目にしたことのなかった優しさを見せてくれたので、10年以上連れ添ってきたPHSに別れを告げ、先週末晴れて現代人の仲間入りを果たしました。この際、形はそっくりだけどiPhoneアプリの開発には使えないという事実は墓場まで持って行こうと思います。
さようなら、iPod touch。アプリの変な挙動を君のせいにしたことがあったことは本当にすまないと思ってるよ。
さようなら、Ades。君のひげ剃りのようなシルエットと極限まで突き詰めたもっさり感は一生忘れないよ!

と、ここからがようやく本題。
iPod touchとGalaxy Sは形もそっくりということもあって、僕も奥さんと同様、iOSからAndroidにOSが変わっても使い勝手はそんなに変わらないだろうと思っていたんだけど、とんでもござーせん。
丸一日思ったように操作できず戸惑うことになったので、同じような境遇の人が今後スムーズに移行する手助けになるよう、iOSからAndroidに移行するにあたって特に重要だな、と感じた点を3つだけ解説することにしました。


その1 アプリ側もメニューボタンと「戻る」ボタンを使うことを前提に作られている

iOS国では、前面に配置されているハードウェアボタンはホームボタンのみで、メニューを表示したり、画面を遷移させたりする場合、アプリ内に配置されたコントロール(ボタンやら何やら)を通じて行うことになります。
ですが、Android国では、メニューボタンというメニューを開くための専用ハードウェアボタンが存在しており、これを押さないことにはメニューを開くことができません
ここを押さえていない元iOS国民は「ダウンロードしたアプリの設定を変更できない」という高い壁を前にして途方に暮れてしまうことでしょう。

また、「戻る」ボタンもしかり。
多くのアプリでは「ひとつ前の階層/画面に戻る」という操作をハードウェアボタンの一つである「戻る」ボタンに割り当てているため、画面上には「戻る」ナビゲーションを司るボタンは用意されていないことがほとんどで、これまたアプリを終了させる時以外はハードボタンを使わないよう高度にしつけられているiOS国民は路頭に迷ってしまうことになります。
「戻る」ボタンを使わなければ、ソフトウェアキーボードをしまうことも、Alertを消すこともできないのですから。


その2 基本、アプリは殺さないと終了しない

独裁国家たるiOS国では、かつて「スクリーンに表示されていないアプリは漏れなく終了しているべし」という固い掟がありました。
iOS4以降この掟は緩和されたものの、依然として「スクリーンに表示されていないアプリは、おとなしくしてろ。あと、ふとした拍子に強制的に終了させられても文句をいうな」というデッドマンウォーキング状態に置かれることに違いはありません。
そのため、iOS国民は「何かあったらホームボタンで無かったことに」という安全策を国王から担保してもらえています。

しかし、自由を謳歌するAndroid国では、なんとバックグラウンドに追いやられたアプリも元気いっぱいに動きまわることが許されており、しかもどうやら多くのアプリはスクリーンから消えてもバックグラウンドで健やかに生き延びるようなのです。
つまり、ホーム画面に戻っても、メモリをバカバカ食い、電力をジャバジャバ消費するうっかりさんが今日もどこかで自由を謳歌していて、気づいたら国力が著しく疲弊しているなんてことが起こり得るのです。というか、何も対策しないと、普通にそんな状態になってしまいます。
そんなわけで、多くのAndroid国民は、大抵Task Killerと呼ばれる警察組織を導入して、このような不心得者を問答無用で射殺することにしているそうです。
23:00追記 と聞いていたのですが、新しいバージョンのAndroidではOSにタスク管理を任せても大丈夫になったというご指摘もいただきました。まだ新入り国民の僕にはまだ正しい判断が出来ません。ごめんなさい。

その3 使い勝手を向上させる方法が違う

iOS国でいうところのホーム画面は、インストールされた全てのアプリが並べられたカタログのような存在ですが、Android国でいうところのホーム画面は、自分が良く使うアプリやウィジェットを並べるWindows 7のデスクトップのような存在です。さらに、Android国では、iOS国のホーム画面と同様のカタログ(ドロワー)も用意されています。

iOS国では良く使うアプリを最初のページに持ってきたり、フォルダにまとめたりすることで使い勝手を向上させますが、Android国では良く使うアプリをドロワーからホーム画面に持ってきたりウィジェットを追加することで使い勝手を向上させます。

iOS国から移住した人にとってはAndroid国のドロワーに親近感を覚えるかもしれませんが、Android国のドロワーには、iOS国のホーム画面のような「カタログの並び順を入れ替えて使い勝手を向上させる」という発想は存在していません。前述のように、Android国での使い勝手向上は、専らホーム画面上で行うものなのです。
ドロワー上でアイコンを長押しすると自動的にホーム画面に遷移してしまうのは、つまりこういったことが理由なのです。

ーーー

以上、iOS国からAndroid国へ移住された皆様が快適な国民生活を送られることを祈念して午後の業務に励むことにします。

ではでは!
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先週末、business law journal 3月号を読みながら、感じたことや疑問に思ったことをリアルタイムでTwitterに(#BLJ201103というハッシュタグ付きで)ポストするという方法でソーシャルリーディングを実体験してみたので、その感想。

1 普通に読むよりずっとたのしい!
感想をつぶやくと、それを目にした方が同調なりRTなり(残念ながら今回はなかったけど)異論などの反応をしてくれるというのは、想像していたよりずっとたのしいものでした。
これは、題材がBLJという、法律系雑誌の中では最も実務寄り、かつエッジの効いた(タイトルを読むだけでニヤリとしてしまう)雑誌で、「あるある」「ねーよ」的なツッコミをしながら読むのに適していたことに依るところも大きいんじゃないかと思いました。

2 普通に読むよりずっと濃く読める!
自分のアンテナがどのセンテンスに反応したかということは自分のレベルを端的に表してしまうわけで、あまりくだらないことはポストしたくない。でも、その一方で、ポストが少ないとソーシャルリーディングという旗印が色褪せてしまう。
そんなわけで、「いいネタないかな」と、普段よりも内容を読み込む意識は自然と高くなったように感じました。

3 デバイス選びが重要!
今回は雑誌片手にソファーでゆったりしながら入力できるよう、iPad&ソフトウェアキーボードでTwitterにポストする方法を採ったわけですが、これがまぁ入力しづらくて大変でした。
思考を分断させないためにも、少なくともキーボードは、できればIMEやエディタも手に馴染んだもの使う必要があるな、とつくづく感じました。
といっても、隙間時間にちょちょいと起動するにはiPadはやっぱり最強なわけで、iPadの入力環境を整える方向に舵を切ることにして、RBK-2200BTiを買いました。これとTweet Atokの組み合わせでどの程度入力の辛さが改善されるか楽しみです。

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「ソーシャル」と言うからには僕が一人でやっていてもあまり意味がないので、このエントリーを読んで興味を持たれた方は、この機会にぜひあいのりしていただければと思います。

んじゃ、また。





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破産から民法がみえるを読み終えましたので、レビューします。
これで1月分のノルマ達成!

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いいところ
  • 条文参照がきめ細かい
  • 判決文の引用が充実している
  • 実務上の意義についての言及が多い
  • 担保物権に関する理解が深くなる

残念なところ
  • いろんな意味で、読みづらい
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タイトル通り、「民法の破産に関連する制度」に触れた後、「破産法上の類似/対応する制度と対比する」という構成をとっており、この形式がハマった項目(詐害行為取消権の判例と否認権に関する破産法の規定とを対比する第14講など)では、まさに「破産から民法がみえる」読書体験を得られます。
また、実務上の意義や必要性についても多く言及がされているという点も、本書の優れた特徴だと思います。
さらに、本書でも触れられていますが、倒産時に真価を発揮する担保物権については具体的な効果に触れられるため、ぐっと理解が深まったように感じます。

ただ、その一方で、
  • 旧法に基づいた記述が厚すぎる
    段落の最後に、改正法で立法的に解決されている旨がさらっと書かれていて脱力することも。
  • 筆者の言いたいことについては、一般的な重要性に関わらず手厚く記載される傾向がある
    特に、「民法畑は破産法を意識していなさすぎ」ということは、食傷気味になるほど繰り返されます。
  • 同じ事柄に関する説明が何度も繰り返され、冗長さを感じることが多い
    よく言えば、通読するだけで復習もできるともいえますが(笑)
といった点が邪魔して、少なくとも僕にとってはあまり読み易い文章とは感じませんでした。

なお、タイトルは「民法がみえる」とありますが、民法が破産と重なる領域はそれほど多くは無いため、実際のところは「民法の特定の箇所(担保物権・相殺・詐害行為取消権など)について理解がぐぐっと深まる」と読み替えて読み始めた方が良いんじゃないかと思います(笑)

さて、次に読むのは池田先生の名入門書「スタートライン債権法」
注目は短歌だそうです!
・・・え、違うの?

新・破産から民法がみえる―民法の盲点と破産法入門
小林 秀之
日本評論社
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あけましておめでとうございます。

最近は長期化する不景気のせいか、12月31日から1月1日になっただけで何がめでたいんだ、などとおっしゃる方もいるようですが、そんなときこそ、どうでもいいことであっても大げさに喜び祝うようにした方がいいと思います。

そんなわけでもう一度、あけましておめでとうございます。

さて、僕も33歳にになり、どうがんばっても若手とは言えない年齢になってきました。
今までは、「知らないことは多いですが、すぐに調べて自分のものにします」というスタンスであってもある程度は周囲の理解を得られたのですが、そろそろそうもいかなくなってきたな、と近頃よく感じています。
そんなわけで、今年は法務業務に関する知識を積極的に蓄積することをテーマに据えたいと思います。
具体的には、「法務業務に関する知識を得られる書籍を読み、最低月に1冊はブログでブックレビューを書く」ことを自分に課したいと思います。
そして、本を読む時間を取るために、アプリケーション開発に割く時間をぐぐっと短縮します。

アプリケーション、特にiPhoneアプリの開発は、やればやるだけ感謝や対価、それに充実感を目に見えるかたちではっきりと手に入れられる、とてもすばらしい活動だと思うのですが、1年間余暇の大半を投入した後振り返ってみると、自分自身のスキルアップにはほとんどなっていないことに愕然としました。
iPhoneアプリの開発は、いろいろな意味で簡単すぎ、そして同時に楽しすぎるのです。

これから先、今まで僕が頼りにしてきた瞬発的な能力は次第に失われ、その代替として、経験や知識の重要性が高まっていくことは自明で、数年後に途方に暮れないためには今がまさに知識の蓄積を始めるデッドラインなんだろうと思います。

目にすることが少なくない、知識の裏付けに乏しい、直感(しかも古いセンスの)だけで仕事にちょっかいを出すダメ法務にならないために、今年はちゃんと知識の蓄積に取り組みます。

それでは、今年も一年、よろしくお願いします。
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