2011年03月

Twitterを通じて何度か告知させていただいた通り、11日から17日までの一週間分のアプリの収益を、先ほど寄付してきました。

寄付金額は、68,885円となりました。
寄付先は、日本赤十字。

趣旨にご賛同頂き、アプリをご購入頂いた皆様、また、Appbankさんをはじめとした告知にご協力頂いた皆様に、深く御礼申し上げます。

今回、寄付に関する手続きを行ったのは私ではありますが、その原資は皆様からお支払い頂いたお金ですので、実質的な寄付者は、皆様お一人お一人に他なりません。
決して大きな金額ではありませんが、このお金は、直接または間接に、被災された方の糧、温もり、そして支えになると思います。

この先、事態が回復に向かう過程で、テレビ等を通じて感謝の言葉が向けられることもあると思います。
その感謝の言葉の幾許かは、皆様に向けられているものです。
また、この先津波に押し流された町が復興する姿を目にする機会がいずれきっと来ます。
皆様は、その復興に、決して大きくはありませんが、しかし確実に貢献しています。

繰り返しになってしまいますが、寄付にご協力頂き、ありがとうございました。

最後に一つだけ。
私は、2004年10月23日に、娘の初めての誕生日を家族で祝っていました。
そして、まさに、ケーキに灯をともそうとしたその瞬間、大きな揺れを感じました。
新潟県中越地震です。
それ以来、私は、娘の誕生日を迎える度に、心のどこかで新潟で起った悲劇のことを思い出しています。
車ごと生き埋めになり、母親とお姉さんを無くした小さな子ども、牛を置いて自分だけ逃げてしまったと泣くおじいさん、土砂に埋もれた道路。
あれから6年以上が経過しましたが、娘の誕生日がフックとなって、これらの記憶は押し流されることなく心のどこかにとどまっています。

皆様にとって、今回ダウンロード頂いたアプリが、この未曾有の震災の記憶が彼方へと押し流されることを防ぐフックとなることを願っています。

それでは。

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donateSS
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ござ先輩がミスに関していつも僕が思うことというエントリーで、
とある小売店に納めた商品の伝票が、システム上に打ち込まれていないにも関わらず切られているという食い違いが発生。システム上で計上されていない伝票が宙ぶらりんになっておりました。
という事態が発生し、
注文を受けた流れ、その商品を手配した経緯といった糸をたぐり始めて、経緯の妥当性を検証する犯人捜しが始まってしまいました・・・。結局、どこでミスが起きたのか誰の判断でミスになったのか、それを確認しないことには同じミスが形を変えて現れる。そういう考えが上司の頭をよぎったようです。うん、それはわかる。ミスはミス、しかも単純なミスだ。売りが立たないという、ね。

仮に糸をたぐって狂った場所がわかったとしよう。でも、そこで言う言葉は「なんでそんな簡単なことに気づかないの?何を確認したんだ?」っていう小言か罵声でしかないのではないか。もう終わった事に対して言える言葉は、行き場のない声でしかない。それを特に立場の弱いヒトに投げるのは、ホントによくないことだと思う。更に理詰めで「そもそもXXをやってないことが原因なんだろ?違うのか?」みたいな追い込みがあった日には最悪ですなぁ・・・。そういうヒトの下についたら、いくら上が能力あってもほとんどは伸びないよね・・・。ミスそのものを怖がるようになってしまうし、その上司のいうことに耳を貸さなくなる。
という、ありがちで、でもとても残念なケースを紹介していました。

そして、時を同じくしてこのtweet

2009/07/21 10:42 AM
「絶対にバグを出してはいけないプロジェクト」があったけど、案の定「絶対にバグが報告されないプロジェクト」になってた。

のRTを目にして、そうなんだよね、こうなっちゃうんだよね、と改めて思いました。

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仕事をしていれば、必ず誰かが何がしかのミスをします。
もちろん、ミスを野放しにしておくわけにはいきません。
ただ、「なぜこんなことになったんだ」というアプローチで原因を探ろうとすると、上の二つのケースのような状態を招いてしまいます。
こんなときは、ほんのちょっとだけ、「なぜこんなことになったんだ」ではなく、「どうすれば同じミスを防げると思う?」に視点を変えるだけで、ポジティブな結論を導き出しやすくなるんですよね。

というのは、「なぜ〜」というアプローチだと、やらかした人が自分で自分のミスを語らなければならない状態になってしまう一方で、「どうすれば〜」というアプローチだと、やらかした人以外の人、つまりミスを客観的に見つめられる人が主体的に発言できるようになるから、さらに言えば、ミスをした人が、自分のミスをひとまずおいとくことができるから。
アメリカ人がミスをしたとき、自分がやらかしたのに、さも他人事のように客観的な分析をぶちかましていて「いや、お前の話だから」と突っ込みたくなることがありますが、それを意図的に再現するイメージです。

もちろん、アプローチを変えるだけではそこまで劇的な変化は望めませんが、仕切る人がこのアプローチの違いを念頭に置いておくだけで、確実に上の二つとは違う空気を醸すことができます。

ミスをした人は、誰よりも「どうすればよかったのか」が判っているにもかかわらず、それを明らかにすると「自分がそうしなかったこと」まで公になっちゃうので、そのままではなかなかオープンにはしてもらえないんですよね。
だからこそ、ミスした人を当事者(あっち側)から分析者(こっち側)に連れてくることで、ここを出しやすくしてあげるのがポイントだと思います。

そんなわけで、反省会を仕切る羽目になっちゃったら、ぜひ「なぜ〜」ではなく、「どうすれば〜」に軸足を置くことをおすすめします。

それでは!
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