2014年03月

例えばNDAの「秘密情報の定義」の条項において、秘密指定(Confidential、社外秘など)をつけるか否かを決めるのは、秘密情報管理規程のような社内規程との整合性です。
例えば基本契約の「個別契約の成立」の条項において、みなし承諾を設けるか否かを決めるのは、受発注フローとの整合性です。
例えば業務を受託する個別契約の「著作権の帰属」の条項において、著作権を全部渡して良いか否かを決めるのは、どんな著作権が発生して、それを自社が将来流用するのかです。

有利とか、不利とか、過去がどうとか、他社との契約ではどうとか、そういうことではなく。

契約法務っていうのは、そういうことだと思うんです。
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記憶は移ろいやすいもので、時間の経過とともに薄れゆき、場合によっては無意識のうちに書き換えられてしまうことを止めることはできないけれど、書き残したことはそのままの姿でそこにあり続けます。
今朝、あのとき、自分が何を考えていたんだっけとふと思い、久しぶりにtwilogにアクセスし、3年前のtweetを読み返してみました。

当時、僕はビルの17階のオフィスで船に乗っているかのような揺れを感じ、その後、テレビ中継で津波が見知らぬ土地を蹂躙していく様を同僚と一緒に呆然と眺めていました。
携帯は繋がらず、家族の安否がわからない不安。
直後の大きな余震がまた繰り返されるのではないかという不安。
書いてあることとは無関係に、いろいろな記憶が怒濤のようによみがえってきます。

あの地震のあとの最初のtweetは

でした。
その時は、原子力発電所が爆発するということも、膨大な死者・行方不明者がでているということも、3年経っても更地のままの土地がいたるところに残されることになるということも、何も知りませんでした。
大変なことが起きたとは思ってはいたものの、この時点では完全に他人事でした。

翌日、そのまた翌日へと読み進めていくと、当時のねじまがった感覚も蘇ってきました。
ねじまがった感覚というのはつまり、絶望とか焦りとかそういうものに支配されていたのに、言ったり書いたりすることはポジティブなことだけにしなきゃならないと思っていた、ということです。
そうしなければならないと、誰に言われたわけでもないのに。

このエントリーに、オチや教訓やまとめはありません。
3年前に自分が書いたものを読んだら、それがきっかけになって(まるで燃焼反応のように)鮮烈に当時の記憶がよみがえったという、それだけのことです。
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Footprintsで10周年突入エントリーを拝見した直後、isologueにも10周年記念エントリーがあがり、すごい偶然だなーなんて思って自分のエントリーのログをたどってみたら、ここも10年経っていたことを発見。

超不定期更新で、しかも途中で自意識過剰なブログ止める宣言をしてみたりと、果たして「10年続けた」といえるのかは自分でもやや疑問ですが、とにかくまぁ、始めてから10年以上経過して、今でもこうしてたまにエントリーを書いているのは事実な訳です。

昔のエントリーを読み返すと自己評価と実力とのギャップが露になり、枕に顔を埋めて「ヴぁぁぁぁぁぁぁぁぁあlぁl」と絶叫したくなってしまいますが、そのことを10年後の今目の当たりにできるということもブログを書き続けることで得られる価値なのかもしれません。というか、そう考えなければ、「今すぐ開始から5年分くらいのエントリーを一括削除したい」という心の底から突き上がってくる衝動を押さえることができません。

改めて(枕を傍らに置きながら)過去エントリーを読み返すと、これまでの10年は、「今までやったことのないことをやろう」ということを心がけて過ごしたんだな、ということを実感します。
次の10年が経過したあと、昔を振り返って同じような感想を抱くことができたらいいな、と思ったりしました。

そんじゃ、今日も一日がんばりましょう!
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