またゴーログからなのですが、木村さんの取り上げられているご意見を読むと、(気のせいであればいいのですが)体罰をバリバリに支持されている方が結構多くいらっしゃるようで、ちょっとびっくりしました。

「教育において体罰は是か非か」という問いは、「ワインを飲むときに、コルクをビンの中に落とすのは是か非か」という問いと(手段と目的という観点から見ると)同じであって、その問いにはほとんど意味が無いと思います。

つまり、「コルク抜きを持っているか」「どれだけワインを飲みたいのか」「きれいにコルクをビンに落とすスキルがあるのか」等を判断せずにその是非を問うたとしても価値のある答えが返ってこないように、「体罰以外の方法で上手に教育できるのか」「そもそも教育が必要な場面なのか」「適切な体罰(というものがあるならば)を施すことができるのか」等を判断せずに体罰の是非を問うても価値のある答えは返ってこないんじゃないかと思うわけです。

結局は、コルクをビンの中に落としてワインを飲むことがあらゆる場面で肯定・否定されるべきことではないように、体罰だって、教育が必要なあらゆる場面で肯定・否定されるべきことではないというだけのことなんじゃないでしょうか。
(だから、一般的に「体罰の是非」を問題にしてもあまり意味がない気がするんです。)

もちろん、親は教育のプロではないので、体罰という子供に負担がかかる代わりに簡単な方法を採ることを許容される場面は、教師におけるそれよりもずっとに広いとは思います。
でも、だれがやろうと、体罰が包含する「子供への精神的・肉体的打撃」「適度なレベルを維持するのが難しい」「子供が『体罰を避ける』ことに注力してしまう」等のデメリットが大きく低減するわけではないはずです。
だから、安易に「体罰・鉄拳制裁を支持する」なんていわないで欲しいんです。(もちろん、安易な反対も、ですが)


ま、個人的には、教育ツールの質や社会環境、(僕も含む)世の中の親の教育スキル等がもっと向上して、「まだ体罰なんていう原始的な方法でしかしつけらんないの〜?しょぼっ。くさっ。ださっ。プププッ」ってな会話が一般的になったら嬉しいんだけどなぁ。
なお、蛇足ですが、Purple Moonさん「あなたは、子供が火のついたストーブに手を突っ込もうとしているのを見ても、『それに触っちゃいけません』と『説得』するのですか?」ってのは、体罰じゃなくて制止だと思います。
なお、この質問をされたら、僕は「それに触ったら熱いよ。熱いのいやでしょ?」と、子供の手を握りながら言いますけど・・・(多くの人も同じじゃないのかな。違うのかな?)