ろじゃあさんの「神田川」と「狼と香辛料?」における「『優しさ』が怖い」を読んで、学生運動の経験なんてかすりもしてない立場でアレですが、神田川について自分がずっと抱いていたイメージを書いてみることにしました。

ろじゃあさんは、
なんで付き合っていて相手が優しいのにそれが怖いんだろうか・・・中学生の頃のろじゃあはそう思ったんですな。
と疑問を呈されて、狼と香辛料?のホロの
「この楽しさの加速を摩滅させる、ぬしの・・・」
水差しからぶどう酒を一口飲んで、自嘲するようにホロは言った。
「優しさが」
という思いと同種のものと考察されていますが、僕が始めて神田川を聞いたとき(高校生のときだったかな?)に抱いたのは、これとはちょっと違うイメージでした。


そのイメージとはつまり、神田川に登場する男は、「金持ちのボンボンで自分勝手で浮気性。親と喧嘩して実家を飛び出した。」であり、女の子は「ろくでなしの父親が女を作って家を出て以来、貧しさに苦しんできた。」というもの。そして何より「この歌の続きとして、男は女を捨てて3畳一間の下宿をある日突然出て行く。」というものです。

神田川の男は、そりゃあひどいヤツで、銭湯に行けば「一緒に出ようね」って約束した女の子を石鹸がカタカタなるまで待たせたり(それも「いつも」だ)、そのあげく、風呂から出てきて言う言葉は「ごめんね」じゃなくて「つめたいね」で(誰のせいだと思ってるんだ。まったく。)、似顔絵を書くためにわざわざ24色のクレパスを買い(絶対女の子に買わせてる。)、描いた似顔絵はぜんぜん似てない(普段からそれほど女の子と真剣に相対してないからだ。)。そして最後に、閉塞感漂う狭い下宿で、女の子に「悲しいかい」って聞いてしまう(この流れで「悲しい」とはいえない。「そんなことないわ」と言わせることで自己満足を得るためだけのクソみたいな質問だ。)、そんな男なんです。

でも、神田川の女の子は、自分の父親と重ねて「男なんて、そういう生き物だ」って悟ってしまっているから、自分から見切りをつけることは無い。

そして、いずれ男は、女の子が必死に貯めたお金を持って、無常にも別の女のもとへ去っていく。

あの歌詞は、黄昏の東京をバックに、そんな光景を僕に想起させるのです。

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さて、「やさしさ」というものは、大きく
1.やさしさに起因するやさしさ
2.やましさに起因するやさしさ
の二つに分けることができます。
そして、両者は一文字しか違わないのに、その意味はまったく異なります。

で、神田川の女の子は、父親から2のやさしさしか与えてもらったことがないのです。

たとえば、ギャンブルで家族の食費をすって帰宅した父親が、妙に体調を気遣ってくれたこと。
たとえば、母親をぶん殴って病院送りにした夜、奮発して出前をとってくれたこと。
そして何より、家を出て行くその朝、きれいな町へ一緒に買い物に行き、きれいな服を買い、最後にはぎゅっと抱きしめてくれたこと。

つまり、この女の子にとって「やさしさ」とは、その裏に隠れた嫌なことを覆い隠すカーテンでしかなかったのです。

それゆえ、悲しいことに、この女の子にとって「やさしさ」は、その裏にある嫌なことを連想させる怖いものになってしまったんです。

なんだか、ちょっと浅田次郎的な情景ですね・・・


ろじゃあさんは優しさを怖く感じないとのことですが、それはきっと、相方さん、ご両親、その他諸々の周囲の方が、皆さん1のやさしさを以ってろじゃあさんに接してきてくれたことの証左であり、とても幸せなことなんだろうと思うわけです。

それでは、今日も元気に行ってきます!

>ろじゃあさん
的をはずしてたらすみません