昨日、ランドセルが届いた。
11月に注文してから、かれこれ4ヶ月待ったことになる。
とはいえ、当初は3月下旬になると言われてたので、前倒しではあるんだけれども。
「届いたランドセルを見て、娘はとてもよろこんでいるよ」と、妻からメールがあった。
このランドセルは、僕の父と母が買ってくれたものだ。
娘がまだ赤ん坊の頃から、「ランドセルは買ってやる。」と言っていた。

11月のその日、僕たちはそもそも、ランドセルをただ下見するために鞄屋さんに立ち寄っただけだった。
いくら「買ってやる」と言われてたとはいえ、お金だけ出してもらうのは嫌なので、実際に買うのは父と母が上京したときにしようと考えていたからだ。
でも、その鞄屋さんは、11月下旬には注文を締め切ってしまうとのことで、しかも見本を思いのほか娘が気に入ったので、電話で父と相談し、その場で注文をしてしまった。

鞄屋さんは、サンプルのランドセルを背負った娘に声をかけ、写真を1枚撮ってくれた。
古いデジカメで撮られた写真の画質は決してきれいではなかったけど、娘はとってもいい顔をしていた。
だから僕は、その日のうちに、父に写真をメールした。
父も母も、「すごく似合ってるね」と、喜んでくれた。

その数日後、父の容態が急変し、そのまま、あっけないとしか言いようのないほどにそのまま、亡くなってしまった。

そして、このランドセルは、父が娘に遺してくれた、最後のおくりものになった。

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今朝、ふとんの中でまどろみながら、おばあちゃんに電話でお礼言わなきゃね、なんてことを娘と話をしながら、「おじいちゃんも、きっと喜んでるよ」と、娘に言ってみた。
6歳の子供にとって、4ヶ月という期間は、きっと短いものではないから、おじいちゃんとの別れも、彼女にとってはもう昔話になっているのかもしれないな、なんて思いながら。

すると、娘は突然、僕に「お手紙、読んでくれたかな。」と、尋ねてきた。
僕は、娘が何を言っているのか、ぜんぜん判らなかったので、「何のお手紙?」と聞き返した。
娘は、「おじいちゃんにあげたお手紙。」と、こたえた。

それを聞いた瞬間、まるで録画されたビデオを見ているかのように、僕の脳裏にあのときの記憶が鮮明によみがえってきた。
 ー 娘は、父が納棺されるときに、手紙を一緒に入れていた ー
娘はそのことを言っていたのだ。

娘がその手紙に何を書いたのかは知らない。
でも、娘は、その内容までしっかりと覚えているようだった。
「おじいちゃんの葬儀」は、娘の記憶にしっかりと(もしかしたら僕の記憶よりもしっかりと)残っていたのだ。

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僕は、あの濃いピンクのランドセルが、父が娘に遺してくれた最後のおくりものだと思っていた。
でも、父はランドセルを買った後に、自分の身を以て、肉親との別れの寂しさや、つらさ、無力さを、娘に教えてくれていた。
もしかしたら、それこそが、父が本当の、本当の最後に遺してくれた贈り物だったのかもしれない。

そんなことを思いながら、僕は、ふとんにくるまりながら、少し涙ぐんでいた。