最近「天津飯は、中国の天津とは無関係」という話(みんな、知ってた?)を聞いて、父との思い出が蘇ってきた。
父の勤め先の近くにあった中華料理屋の、父が好きで、兄が嫌ってた天津飯。


うちは両親ともフルタイムの共働きだったので、たまに兄と二人だけで晩ご飯を食べることになるときがあった。
今となっては何を食べていたのかほとんど覚えてないんだけど、天津飯については何故かはっきりと記憶に残っている。

まだ父が会社を辞めていなかった頃、母が仕事で遅くなるとき、父はたまに会社の近くの中華料理屋でご飯を買って、うちまで持ってきてくれた。出前じゃなく、自分で。
父のおすすめは天津飯。「ここの天津飯はうまいんだ」と言って、往復40分の道のりを天津飯と共にやってきて、空になった器と共に帰って行った。

小学生の僕には天津飯のおいしさが今一つわからなかったけど、おいしい、と言って平らげていた。
一方、兄は、俺はこれ嫌いだ、どろどろしてるし。などと言ってはばからなかった。
僕は父の悲しい顔を見たくなくて、兄にもうまいと言って天津飯を食べてほしかった。それがまったくの嘘でもいいから。

兄がいつも天津飯を拒絶するので、いつしか父が天津飯を晩ご飯に選択することはなくなった。でも僕は、敢えてそれほど好きでもない天津飯をリクエストすることがあった。そんなとき、父はどことなくうれしそうだったし、喜ぶ父を見るのは僕にとっても喜びだった。


僕はその頃、兄が父を悲しませる言動を取ることに不満を抱いていたけど、今では何となく兄の気持ちが分かる。
あの頃、兄は、父も母もいない家で、3歳下の弟の庇護者だったんだ。天津飯を持ってきてくれたくらいで自分の役割を捨てて、ほいほい子供に戻るような器用な真似はできなかったんだろう。
僕の兄は、そういう人間、つまり、自分がそうすべきと決めたことは、意地でも貫き通す人だったから。(父とそっくりだ)

そういえば、兄は昔から怖い存在だったけど、考えてみると僕はほとんど兄とケンカしたことがない。叱られることや説教されることは数え切れないくらいあったけど、不思議と喧嘩にはならなかった。
それはきっと、兄は、家を空けがちな両親に代わる、僕のもう一人の父だったからなんだろう。
喧嘩って、対等な関係の下でじゃないと成立しないからね。

父が会社を辞め、自宅で仕事をするようになってからは、あの中華料理屋の天津飯が晩ご飯になることはなくなった。
意図的に避けていたわけじゃないけど、それ以来僕は、天津飯を口にしたことはない。
メニューに載っていても、なぜか頼む気になれない。
きっと兄も、あれ以来、天津飯は食べてないんじゃないかって気がする。
今ならきっと、おいしいって言えると思うんだけどな。