ござ先輩がミスに関していつも僕が思うことというエントリーで、
とある小売店に納めた商品の伝票が、システム上に打ち込まれていないにも関わらず切られているという食い違いが発生。システム上で計上されていない伝票が宙ぶらりんになっておりました。
という事態が発生し、
注文を受けた流れ、その商品を手配した経緯といった糸をたぐり始めて、経緯の妥当性を検証する犯人捜しが始まってしまいました・・・。結局、どこでミスが起きたのか誰の判断でミスになったのか、それを確認しないことには同じミスが形を変えて現れる。そういう考えが上司の頭をよぎったようです。うん、それはわかる。ミスはミス、しかも単純なミスだ。売りが立たないという、ね。

仮に糸をたぐって狂った場所がわかったとしよう。でも、そこで言う言葉は「なんでそんな簡単なことに気づかないの?何を確認したんだ?」っていう小言か罵声でしかないのではないか。もう終わった事に対して言える言葉は、行き場のない声でしかない。それを特に立場の弱いヒトに投げるのは、ホントによくないことだと思う。更に理詰めで「そもそもXXをやってないことが原因なんだろ?違うのか?」みたいな追い込みがあった日には最悪ですなぁ・・・。そういうヒトの下についたら、いくら上が能力あってもほとんどは伸びないよね・・・。ミスそのものを怖がるようになってしまうし、その上司のいうことに耳を貸さなくなる。
という、ありがちで、でもとても残念なケースを紹介していました。

そして、時を同じくしてこのtweet

2009/07/21 10:42 AM
「絶対にバグを出してはいけないプロジェクト」があったけど、案の定「絶対にバグが報告されないプロジェクト」になってた。

のRTを目にして、そうなんだよね、こうなっちゃうんだよね、と改めて思いました。

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仕事をしていれば、必ず誰かが何がしかのミスをします。
もちろん、ミスを野放しにしておくわけにはいきません。
ただ、「なぜこんなことになったんだ」というアプローチで原因を探ろうとすると、上の二つのケースのような状態を招いてしまいます。
こんなときは、ほんのちょっとだけ、「なぜこんなことになったんだ」ではなく、「どうすれば同じミスを防げると思う?」に視点を変えるだけで、ポジティブな結論を導き出しやすくなるんですよね。

というのは、「なぜ〜」というアプローチだと、やらかした人が自分で自分のミスを語らなければならない状態になってしまう一方で、「どうすれば〜」というアプローチだと、やらかした人以外の人、つまりミスを客観的に見つめられる人が主体的に発言できるようになるから、さらに言えば、ミスをした人が、自分のミスをひとまずおいとくことができるから。
アメリカ人がミスをしたとき、自分がやらかしたのに、さも他人事のように客観的な分析をぶちかましていて「いや、お前の話だから」と突っ込みたくなることがありますが、それを意図的に再現するイメージです。

もちろん、アプローチを変えるだけではそこまで劇的な変化は望めませんが、仕切る人がこのアプローチの違いを念頭に置いておくだけで、確実に上の二つとは違う空気を醸すことができます。

ミスをした人は、誰よりも「どうすればよかったのか」が判っているにもかかわらず、それを明らかにすると「自分がそうしなかったこと」まで公になっちゃうので、そのままではなかなかオープンにはしてもらえないんですよね。
だからこそ、ミスした人を当事者(あっち側)から分析者(こっち側)に連れてくることで、ここを出しやすくしてあげるのがポイントだと思います。

そんなわけで、反省会を仕切る羽目になっちゃったら、ぜひ「なぜ〜」ではなく、「どうすれば〜」に軸足を置くことをおすすめします。

それでは!