人に何かを期待するときの姿勢には、大きく「信頼」と「甘え」の二つがあると思っている。
これはつまり、(あくまで僕の中での定義なので汎用性があるわけではないけれど)「甘え」は、当然期待した通りになるという考えに基づくものであり、「信頼」は、期待した通りにならない可能性を認識し、そのリスクをとった上でなお期待することだという違いだ。

そして、両者の違いは、期待通りに事がすすまなかったときに露わになる。
「甘え」による期待は憤りを生み、「信頼」による期待は失望を生む。
もっと具体的に、「甘え」は「なぜできなかったんだ」という問いを生み、「信頼」は「どうすれば良かったのか」という反省を生むと言ってもいい。
また立ち位置の面からは、「甘え」は外野で、「信頼」は当事者という言い方もできる。

こう書いてしまうと、あたかも「信頼」が善で、「甘え」が悪だと言っているように読めてしまうかもしれないけれど、そんなつもりは全くない。
誰にだって生きてくうえで「甘え」は必要であり、その反射としてある程度人の甘えを許容する度量が求められていると思っている。
僕が言いたいのはただ、期待するという行為には「甘え」と「信頼」の二種類のものがあって、それは似ているようで全く異なるということ、そして、期待される側にとって「甘え」は、知ったこっちゃない、もっといえば時に迷惑なものでしかないということだ。
だから僕は、自分の抱いている期待が「信頼」なのか、「甘え」なのかを意識することは、とても大切なことだと思っている。

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先日、長万部町のPRキャラクタであるまんべくんのTwitterアカウントが不適切発言を理由として更新がストップされ、この件について長万部町長が以下のような謝罪をした。
 このたびの「まんべくん」の戦争についてのツイッター発言については、皆様に大変ご心配ご迷惑をおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。

 今回のツイッター上での発言は、まんべくんのキャラクターの商標を許可している株式会社エム社のコメントであり、長万部町の公式な発言でありませんので、ご理解を頂きたいと存じます。

 しかし、町のキャラクターである「まんべくん」の発言であり、皆様にご心配ご迷惑をおかけいたしましたことを重ねて深くお詫び申し上げます。

 今後の対応については、ツイッターを運営していたエム社への「まんべくん」の使用許諾権を禁止し、まんべくんツイッターは中止となります。

改めてお詫び申し上げるとともに、今後このようなことのないよう十分に注意を払い、更に今回の状況を調査し適切な対応をして参ります。
これが、「甘え」だ。


また、先日ソーシャルメディアでつぶやく前に注意したいこと・・・という百式の田口さんのエントリーに対し、ロケットスタートの古川さんがほとんどがオープンになるソーシャルメディアの時代での心構えというエントリーを書かれている。

このエントリーで田口さんがおっしゃっている「人のステータスを勝手に公開しないで欲しい」という期待も「甘え」だ。


繰り返しになってしまうが、僕は「甘え」が悪いものだと言いたいわけではない。
ただ、「甘え」は、それを許してくれる人の善意によって初めて成立する、言ってしまえば独りよがりなものであるという自覚が必要だと思っているだけだ。


といったことを、うつくしい子どもを読んで考えたりした。