守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
引用元:Wikipedia

去年の年末から1年弱、新卒相当の方に法務の仕事を教えるという経験をしてきました。
で、その経験を通じて気づいたことの一つに、「教える側も『守破離』に則った方がいいんじゃないだろうか」ということがあります。
「教える側にとっての守破離」をWikipediaの記載になぞらえるとこういうことになるでしょうか。
まずは教える相手に型を「守らせる」ところから始まる。
その後、その型を研究させることにより、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破らせる」。
最終的にはもともとの型や、改善した型から「離れる」ことを勧める。

これを物事を教えるときの自分の行動に当てはめると、こんなことに気づきました。

その1
「守」ができたかを判断する前提として、伝えるべき型をしっかり定めておかなければならない。
人にものを教える以上、「やり方は人それぞれ」みたいな逃げ道を残すべきじゃないし、また「まずは言ったとおりにやってみて」といえるだけのクオリティの型を持つ責任がある。

その2
教える対象が、現在「守破離」のどのフェーズにあるのかを把握しなければならない。
そして、「守」ができていないのに型の改善を検討しようとしたり、型から外れようとしたときは、軌道修正をしなければならない。

その3
「守」ができるようになったら「破」へ、「破」ができるようになったら「離」へと進むよう、促さなければならない。
「教える対象が自分の伝えた型を破り、そして離れていくことを妨げる」ようなことは絶対にしてはならない。



振り返ってみると、僕が「良い上司だった」と思える人は、この「教える側の守破離」をバランスよく実践できている方だったように思います。こういう人から受ける指導って、すーっと腑に落ちるんですよね。
僕は今まで、どちらかというと「人に何かを教える」ということについて苦手意識をもっていたけど、この1年弱の経験は長年付き合ってきた苦手意識を乗り越えるきっかけになるかもなぁ、なんて思ったりしました。