このエントリーは、法務系 Advent Calendar 2019の10日目です。

当初、Googleスプレッドシートで作ったメンテナンスコストが超低い新株予約権原簿を共有してクリアしようと考えていたのですが、裏表のこれまでのエントリーを拝見し、単なるtipsみたいなエントリーでお茶を濁すのもちょっと違うなと思い直し、最近良く考えるようになった「正解を追う」スタイルについて書いてみることにしました。

「正解を追う」というのはどういうことか


最近、「正解を追う」というスタイルについてよく考えています。
この「正解を追う」というのは、ある業務に正解があることを前提として、現状とその正解との差分を埋めようとする動きを指しています。これに対し、正解を特に意識しない場合の業務改善は、「今」を基準に、今をより良くする方法を模索するという形を取ることになります。
言ってしまえば軸足の置き場の違いでしかないわけですが、これが長期的に見ると結構な違いを生むのではないか、というのが、今考えていることなのです。

こういった事を言うと、「正解は一つではない」というご指摘を受けることもあるのですが、正解を追うということと正解は一つではないということは、相反することではありません。リソース、業種、組織のミッションなどによって正解は異なるのは当然ですが、その異なる正解をそれぞれが追うというだけのことでしかないのです。

正解は誰が知っているのか


ある程度経験を積んだ方であれば、概ね正解はわかっていると思われるかもしれません。ですが、「概ね」がついてしまう時点でそれは正解ではありません。1足す1は2であって、概ね2ではないのです。
では、その正解を知っているのは誰か、というと、それは全世界にいる先達です。より正確に言えば、先達の知恵の集合体・最小公倍数こそが、正解だと思うのです。
有名な格言に、巨人の肩の上に立つ、というものがあります。
先達が積み上げた知恵を、自分の経験や能力だけで超えることなどできるはずがありません。
その道の第一人者が書いた本を読み、話を聞き、それを実務に適用することが、正解を追う最もストレートなやり方だと思うのです。

ものすごく当たり前のことを書いているなと自分でも思うのですが、他方で愚直にこれをやれる人は多くありません。そもそも積極的に本を読んだり人の話を聞きに行く人自体が少数であり、そのハードルを乗り越えたとしても、読むだけ、聞くだけで終わってしまい、実務に適用するところまでやりきれる人となるとごく少数しかいないのではないでしょうか。

今自分が置かれた環境における正解を目指そうとすると、正解がわからなければ最初の一歩を踏み出すことができなくなりますし、そもそも正解がわからないという状態に居心地の悪さを感じるようになります。
正解を追うというのは中々不便なことであり、また息苦しいことでもあります。だからこそ、理屈としては巨人の肩の上に立つ方が遠くを見通せるとわかっていても、自分の身の丈の目線から見える景色で満足してしまうのだと思うのです。

正解は変わり続ける


一度正解にたどり着いたとしても、安心はできません。前述の通り、正解は環境によって異なり、環境は常に変化し続けるので、当然の帰結として正解も変わり続けるからです。
しかし、正解が不安定で不確かなものであるということは、大きな問題ではありません。なにしろ「一度正解にたどり着いたとしても」ということ自体が非常にあやうい仮定であり、そもそも正解が何かを客観的に正しく把握することは基本的には不可能だからです。
つまり、実際にはそのような前提のもとで、巨人の肩の上に立って得た正解らしきものを追うのが、「正解を追う」の正体なのです。

ただ、正解らしきものと正解は異なるので、盲目的にそれを追うだけでは不十分です。
正解らしきものを、自らが発見し、または他者が提唱する正解とぶつけて、より正しいものを取るというテストする必要があるのです。
そして、このテストは、一度たどり着いた(と自分では思っている)正解に固執してしまう保守性のバイアスを乗り越える良い手段にもなりえます。
実のところ、保守性のバイアスは、正解を追うスタンスの最大の敵とも言えます。苦労して見つけ出した正解であればあるほど、環境の変化についていけず、時代遅れになってしまっていることを認めたくなくなるからです。そのため、常に正解を疑い、テストを続けることは、正解を追うことと必ずセットにする必要があるのです。

正解に固執しているかチェック


前述の通り、一度得た成果に固執してしまうことは、正解を追うことの妨げになるのですが、自分自身で正解に囚われていることに気づくことは容易なことではありません。そこで、シンプルなチェックを考えてみました。
  • 自分の正解に固執している人は、他者が提唱する正解の穴を探すが、そうでない人は他者が提唱するの正解と自分の正解との差分を探す。
  • 自分の正解に固執している人は、自分の正解を否定されると反発するが、そうでない人は検証を始める
  • 自分の正解に固執している人は、他者による自分の正解と異なる正解の提唱に反論するが、そうでない人は無視する

思いつきで考えたものですが、方向性としてはこういうことではないかと思っています。

最後に


最近、様々なすごい方からお話をお伺いする機会を頂いているのですが、やはり第一人者の方の話を聞くのは本当に勉強になります。
蛸壺と称されがちな法務だからこそ、どんどん人と会って、話を聞きに行きましょう!
(時間切れ目前になって締めがめっちゃ雑になってしまった)

というわけで、次はにょんたかさんです〜