先日、遅れて取った夏休みの予定について奥さんと話をしていたら、ふと
「いろいろ旅行は行ったけど、げんちゃん(僕のことです。)と行ったオーストラリアがやっぱり一番思い出に残ってるなぁ。」
と、何気ない感じで言われました。

で、僕もそのときは何気ない感じで
「へぇ。」
位にしか返事をしなかったんだけど、内心はすごくうれしくて、実は数日たった今でもちょっぴりシアワセな感じがほんのりと残っています。

というのも・・・
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数年前(もしかしたら今もそうかもしれないけど)「生きる意味を探す」ってのが少し流行ったことがあったけど、既に多くの人が気づいてしまっているように、「生きる意味」なんて、探して見つかるもんじゃないはずだ。メガネやリモコンじゃないんだから。

でも、つらい思いをしたときや、何かを決断しなければならない場合に、「自分が何のために生きているのか」を自覚しているかどうかってのは、小さくない意味を持っているみたいだ。少なくとも、僕は、そう感じた。

探しても、見つからない。
でも、持っていなくちゃならない。

だったら、自分で創り出しちゃうのが一番手っ取り早いんじゃないかと思う。

そんなわけで、僕は奥さんと結婚するときに、「奥さんか僕のどちらかが死ぬときに『あなたと結婚できてよかった』と言ってもらう。というか、言わせる。」ために生きようと決めたのでした。
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という目標に一歩近づいたような気がしたから。


時々発作的に一週間履きっぱなしの靴下みたいなクサイことを書いちゃうんだけど、まぁ・・・それもいいよね。時々ならさ。

ね?