ちょっと前のエントリーにmametaさんからトラックバックを頂いたので、僕ももう一度書いてみます。

前回、「なぜ人を殺してはいけないのか」っていう問いを立てておいてこんな事を言っちゃうのもなんだけど、考えてみたら、こんな問いにマトモな答えは出るわけがなかったです。すんません。

その理由は、別にテーマが深遠だったからとかではなくて、単に「問いが備えているべきであった条件を、この問いは備えてなかった」っていう、なんともアレなものだったわけですよ。重ね重ねすんません。

つまり、
1.判断基準が明らかでない
2.前提条件が明らかでない
ってことで。

1について言えば、例えば「自分の主観に照らして」か、「刑法に照らして」か、「○○教の教義に照らして」かで、別に「人を殺す」だけじゃなくて、あらゆる行為の「いいor悪い」がぶれちゃうわけで、これを明確にしないで問いに対する答えが正確に出せるわけが無いし、
2について言えば、例えば「自分の娘がまさに惨殺されようとしている時に、その殺そうとしている奴を」という前提があるか「特に理由も無く、偶然すれ違った奴を」という前提があるかで答えは大いに異なるはず。

「なぜ人を殺してはいけないか」を問われたら、まずこの二つの条件を明確にしてしまえば答えは比較的スムーズに出せるんじゃないかと思います。
「自分の主観を基準に、特に差し迫った必要性が無い」ことを条件に設定すれば、「だって、自分がそう思うから。」って答えればいいわけだし、「刑法を基準に、特に差し迫った必要性がない」ことを条件に設定すれば「うっさい。自分で199条を見ろ。」って答えればいいわけだし。

で、じゃあ『倫理』を基準にした場合はどうなんだ?ってことになった時にはじめて前回の言い訳だった「ちゃんと勉強した事が無いから判断できない」が出てくるんだろうな、と。

ただそれだけの事だと思います。
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コメント

 コメント一覧 (10)

    • 1. mameta
    • 2005年06月04日 12:29
    • ふむふむっと読ませてもらってました
      コレって本にまでなっていたんですね最近になって知りましたよ
      テーマとしては広すぎるが結果色々考えることができて面白かったです
      結論にたどり着くまで時間がかかりますがこうやって考えるのも悪くないですね
    • 2. 前田直毅
    • 2005年06月04日 23:43
    • お久しぶりです。

      新聞で読んだことがあるのですが、
      「殺された人の人生がそこで終ってしまうから」
      という答えに妙に納得しました。

      前提を置くとか、難しいこと考えても
      頭の悪い僕には良く分かりません。

      生きていればいくらでもやり直しはきくと思いますが、
      「死」はそれ以上は何も生みません。

      他人の「だって、自分は人を殺したいと思うから」というわがままで、
      自分の人生が終わって、可能性が全て奪われてしまう、
      としたら、悲しくないですか?
    • 3. kata
    • 2005年06月05日 08:00
    • mametaさん、おはようございます。

      たぶん、結論よりも考える事自体が大切なんでしょうね。
      そう思います。
    • 4. kata
    • 2005年06月05日 08:08
    • 久しぶりだね>前田

      人を殺したいというのは欲求であってわがままとは言い切れないし、場合によっては「自分の人生がそこで終ってしまう」という理由がわがままである可能性は充分にあるよ。
      どのように捉えるべきかは前提次第じゃないかな。

      このようにぶれが出ちゃうのが前提を置いていないデメリットだと思います。
      難しい事でもなんでもない。
      むしろ、難しい事を考えても良くわからないという思考停止は、この問いに対する答えを導く上でとても有害な事だと思うよ。

      更に言えば、「生きていればやり直しがきく」というのも、前田の中に当然のものとして設定されている前提が無ければ成立しない理由でしょ。
    • 5. Kako
    • 2005年06月07日 21:30
    • この問いを、ふと小4の娘に投げかけてみました。
      すると娘は「だって、それは悪いことだから」と答えました。「じゃあ、どうして悪いことなんだろうね?」と聞くと、娘はうーん、とうなったきり考え込んでしまいました。
      「すぐに答えを出さなくてもいいよ。でも、じっくり考えてみて欲しいな」と言うと、神妙にうなずいていました。

      人の死について考えることは、自分の命について考えることでもありますね。
    • 6. DEUX
    • 2005年07月23日 02:49
    • 一言で言えば、「社会のルールだから」ということになります。
      まず、この問いを発した人物の所属する社会では人を殺すのはいけないこととされているという前提があります。この場合の社会というのは人間が二人以上存在すればそこには社会が成立するという考えが基になっています。そしてこの前提が何故導けるのかというと、いけないこととは知らない人は決してこの問いを発することはないからです。目の前にリンゴがあって、誰にも食べてはいけないと言われていないのに、「なぜ食べてはいけないの?」と訊く人はありえないでしょう。
    • 7. DEUX
    • 2005年07月23日 02:50
    • また自分でいけない理由を知っているなら(例えば以前食べたあとで殴られたとかお腹をこわしたとか)、既に理由が解っているからわざわざ問うこともないはずです。つまりこの問いを発した人物はまだいけない理由を知らないが、社会においていけないとされているということを知った、そこでその理由を尋ねているということです。
    • 8. DEUX
    • 2005年07月23日 02:53
    • では何故その人物の所属する社会にそのようなルールができたのか。ここまでいけば皆さんには言うまでもないことかと思いますが、その社会に所属する人にとって不都合なことがあるからです。人が殺されることによってその当人もしくは共生する人が損害を被る。それはいけない。そこで掟・ルールが作られるわけです。人を殺してはいけないと。この時点で殺された人やその周りの人にどういった被害が出るかの説明ができます。
    • 9. DEUX
    • 2005年07月23日 02:53
    • でもそれは自分にとっての損害とは限らない。自分の利益に関係する人を殺すのが自分の不利益になるのは解る。けれどそれが自分の利益に何の関係もない人ならそんなルールは無視してもいい。そう考える人に対しても強制力を持たせるために罰則が設けられる。罰則が社会で認められるには合意が必要。統治者の意志もありますが。それは社会の生存・維持に有利にはたらくと見なされたもの。この時点で先程の説明に加えて殺人者に対する刑罰という不利益があることを説明できる。いけない理由についての説明はここまでで充分でしょう。
    • 10. DEUX
    • 2005年07月23日 02:54
    • 勿論何が何でも殺してはいけないわけではありませんね。いけない理由を知ったなら、あとは当人の判断に委ねられています。殺してはいけない理由と殺すべき理由。どちらが重いと判断するか。判断力が試されます。知識や推測能力の欠如した人はこの判断を誤り、後悔することになるわけですが。我々はせめてその判断の助けとなるよう自分の知りうる限りの「理由」というものを教えてあげるべきなのでしょうね。
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