先週、久しぶりに世間的に熱い話題(twitter中継/tsudaる)についてエントリーを書き、はてブやtumblrを通じていろいろな方の意見の読む機会を得たことでいくつか気づかされたことがあったんだけど、その中で一番大切だと思ったことについて書いてみる。
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僕は、今まで、現行の法制度は「どうあるべきか」という観点で見ることはほとんど無く、ただひたすら「どう凌げばいいのか」ということだけを考えてきた。
だから今回も、この「どう凌げばいいのか」という観点に立ってこんなエントリーや、こんなエントリーを書いたんだけど、これらエントリーについては、現行の著作権法制のゆがみを何とかしようと活動(または考察)している方面の方々からいろんなコメントを頂いた。いや、まぁ、正確には僕宛のコメントじゃないから、別に「頂いた」わけじゃないんだけど。
これらのコメントを目にした当初、「僕が言いたいことは、そんなことじゃないんだ。」なんてことを思っていたんだけど、今振り返ってみると、そういわれても仕方ないのかもなって感じる。
現行の著作権法は、それを条文どおりに適用されてしまうと、さまざまな局面で形式的な権利侵害状態が生まれてしまう現状があり、いろいろな方がいろいろな方法でこのゆがみを解決しようと活動をしている。
そんな状況下で、現実的な問題に直面していないにもかかわらず、現行法を前提とした権利者から文句を言われない対応方法なんてぬるいことを書いているエントリーを見かけたら、そりゃため息のひとつもつきたくなるだろうなって。
法律って、黙ってれば世の中の変化に合わせて勝手に変わっていくものじゃなくて、「変えなきゃならない」って思って、実際に行動を起こした人が変えていくものなんだって。
にもかかわらず、現行法をそのまま適用するのが「?」な場面において、現行法をひとまず是とした上での現実的な解決法だけしか考えないのは、誰かが正してくれるという期待の元でのみ成り立ちうるただ乗り行為なんだって。
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積み重なる要検討事項を前に日々対応策に頭を捻っていると、つい目の前に横たわる問題をどうにかすることだけに目をとらわれがちになっちゃうけど、ずっとそんな姿勢で居続けてるのは、法律を飯の種にしている者としては、少し寂しい事なのかもしれない。
そんなことを考えながら、昔ろじゃあさんとご一緒させていただく機会をいただいたときに抱いた感覚を、ちょっとだけ思い出したりした。
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僕は、今まで、現行の法制度は「どうあるべきか」という観点で見ることはほとんど無く、ただひたすら「どう凌げばいいのか」ということだけを考えてきた。
だから今回も、この「どう凌げばいいのか」という観点に立ってこんなエントリーや、こんなエントリーを書いたんだけど、これらエントリーについては、現行の著作権法制のゆがみを何とかしようと活動(または考察)している方面の方々からいろんなコメントを頂いた。いや、まぁ、正確には僕宛のコメントじゃないから、別に「頂いた」わけじゃないんだけど。
これらのコメントを目にした当初、「僕が言いたいことは、そんなことじゃないんだ。」なんてことを思っていたんだけど、今振り返ってみると、そういわれても仕方ないのかもなって感じる。
現行の著作権法は、それを条文どおりに適用されてしまうと、さまざまな局面で形式的な権利侵害状態が生まれてしまう現状があり、いろいろな方がいろいろな方法でこのゆがみを解決しようと活動をしている。
そんな状況下で、現実的な問題に直面していないにもかかわらず、現行法を前提とした権利者から文句を言われない対応方法なんてぬるいことを書いているエントリーを見かけたら、そりゃため息のひとつもつきたくなるだろうなって。
法律って、黙ってれば世の中の変化に合わせて勝手に変わっていくものじゃなくて、「変えなきゃならない」って思って、実際に行動を起こした人が変えていくものなんだって。
にもかかわらず、現行法をそのまま適用するのが「?」な場面において、現行法をひとまず是とした上での現実的な解決法だけしか考えないのは、誰かが正してくれるという期待の元でのみ成り立ちうるただ乗り行為なんだって。
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積み重なる要検討事項を前に日々対応策に頭を捻っていると、つい目の前に横たわる問題をどうにかすることだけに目をとらわれがちになっちゃうけど、ずっとそんな姿勢で居続けてるのは、法律を飯の種にしている者としては、少し寂しい事なのかもしれない。
そんなことを考えながら、昔ろじゃあさんとご一緒させていただく機会をいただいたときに抱いた感覚を、ちょっとだけ思い出したりした。
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