僕が学生の頃からずっと不思議に思っていて、きっと基本的なことのはずなのに10年経っても解けることのない疑問に、「景気対策」ってなんなんだ?というものがある。
それはつまりこういうことだ。
仮に、世界が100人の村だとして、その100人が各々100円だけ持っているとする。
つまり、この世界には1万円しかない。
その中のある人が誰かから種を10円で買って、収穫した作物を100円でまた別の誰かに売る。
そうすると、作物を売った人は190円持つことになるわけだけど、全世界に存在しているのは1万円であることに変わりはない。
で、この世界で例えばもっと景気をよくしようとするには、どうすればいいのだろうか。
このことがさっぱりわからない。
上記の通り、誰かの金回りがよくなるのは、常に他の誰かの金回りが悪くなることとの引き換えなんじゃないのだろうか。
もし、「誰かの金回りがよくなるのは、常に他の誰かの金回りが悪くなることとの引き換え」ということが正しいのであれば、景気対策なんて"たらい"に入れた砂をいじって「どこに山を作ろうか?どこに穴を掘ろうか」ってこねくり回すことと変わりないってことにならないだろうか。
→これが正しい認識なのだとしたら、それは景気対策というより、第一義的には富の再分配ということになっちゃうよね。
ふとした拍子に思い出して、少し考えて「やっぱわかんないや」とまた記憶の底に押し戻される僕の疑問を、誰かに氷解してもらいたくて、こんなことをつらつら書いてみた昼休みでした。
それじゃ、またね。
それはつまりこういうことだ。
仮に、世界が100人の村だとして、その100人が各々100円だけ持っているとする。
つまり、この世界には1万円しかない。
その中のある人が誰かから種を10円で買って、収穫した作物を100円でまた別の誰かに売る。
そうすると、作物を売った人は190円持つことになるわけだけど、全世界に存在しているのは1万円であることに変わりはない。
で、この世界で例えばもっと景気をよくしようとするには、どうすればいいのだろうか。
このことがさっぱりわからない。
上記の通り、誰かの金回りがよくなるのは、常に他の誰かの金回りが悪くなることとの引き換えなんじゃないのだろうか。
もし、「誰かの金回りがよくなるのは、常に他の誰かの金回りが悪くなることとの引き換え」ということが正しいのであれば、景気対策なんて"たらい"に入れた砂をいじって「どこに山を作ろうか?どこに穴を掘ろうか」ってこねくり回すことと変わりないってことにならないだろうか。
→これが正しい認識なのだとしたら、それは景気対策というより、第一義的には富の再分配ということになっちゃうよね。
ふとした拍子に思い出して、少し考えて「やっぱわかんないや」とまた記憶の底に押し戻される僕の疑問を、誰かに氷解してもらいたくて、こんなことをつらつら書いてみた昼休みでした。
それじゃ、またね。
コメント
コメント一覧 (16)
お金は「エネルギー保存の法則」などと異なり、たとえば、銀行の「信用創造」などで、流通量は増えるんですよ。不思議ですよね。
景気を良くするには、お金を流通させる、というのが答えになるのでしょうが、はてさて、どうやって流通させるのか?と聞かれるとわかりませんね。
変な経験則(というか、感じたこと?)ですが、、怪しげなビジネスが横行している時のほうが、景気が良いきらいがあると思います。さびしい気もしますが、サブプライム商品も怪しげなビジネスの一環でしたけど、こういうものが売れると、きっと景気がよくなるのでしょう。
通貨の流通量は可変ですから
ただ、単純に流通量を増やせばいいかと言うとそうではない。その辺りのバランスが難しいんじゃないですかね。
僕が考える景気対策とは、このバランスの問題と、国民の意識改革なんじゃないかなと。
デフレスパイラルの一原因である消費行動の抑制が不況を招くと言われてますからねぇ。
さて、この分野は私も素人理解なのですが、ひとつやってみます。ご不明の点がありましたら、ひとえに私の悪文のせいです。
まず、好景気=各人の使えるお金が増えることと定義します。毎日100円使える状態は、毎日70円しか使えない状態に比べて望ましい「好景気」だという考えです。実際は物価を考慮する必要があるので、必ずしも使えるお金が多い方がいいとは言えないはずですが、ひとまずそう決めます。
そして100人の例で、全員が他の人に対し毎日一斉に100円全額使うことにすると、各人使えるお金は100円/日ですが、各自手持ちの30%を手元に残すことに決めると、お金の総量は変わらないけれど、使えるお金は70円/日に減ってしまいます。これが不景気と言われる状態ではないかと思います。
また、手持ちの額に差があるのも似たような状態を生みます。190円持っている人は全額を使う必要がなくなりますし、手持ちがない人のところではお金の動きが止まりがちになります。結果として各人の使えるお金の額は、全般的に少なくなるはずです。
そこで政府は、手持ちがなくボトルネックになりがちな人にお金を注入し、お金の流れを止めないようにすることによって、最終的に各人の使える額が増えることを期待している。これが「景気対策」あるいは「景気刺激策」と言われるものに対する、私の理解です。
なので、「景気対策」が「第一義的には富の再分配」だという指摘には、私も同意します。それが二次的にひきおこす結果として「景気回復」があるという考え方です。
以上が私の理解ですが、そもそも使えるお金が増えるのが幸せかという問題は残るので、結局「景気対策」ってなんなんでしょうね、という疑問は依然持っていたりします。すみません。長文失礼いたしました。
>景気を良くするには、お金を流通させる
との事ですが、金回りの良さは相対評価なので(エントリーの例でみんな100円持っている、というのと、みんな200円持っているというということとで、持っているお金は2倍でも、金回りの良さは変わらないという趣旨です)お金の流通を増やすことで景気対策とするのは、通貨の価値の下落にみんなが気付くまでの時間稼ぎでしかない(しかも、それに気づいた人が増えるにつれ、逆に景気後退が始まる)ということになりませんか?
「景気」が意識の問題というのは、僕もまったくもってそう思います。
世界に存在する"価値"は、景気対策のようなもので変わるものではない(イノベーションなどで変わるもの)という前提が、このエントリーで上げた疑問の根底にあるのです。
結局のところ、景気対策って意識を実態より上ブレさせるだけのもの(そして、それは実態に合わせていつか揺り戻される)んじゃないかなぁ、と。
多分、”判ってる人”にとっては稚拙極まりないやり取りなのでしょうが、僕にとっては非常に示唆に富んでいます。ご安心ください(笑)
ところで、仮に景気対策とは富の再分配であるとすると、富の再分配のためには、一般的な景気対策(金融緩和や減税)よりもずっと効率的で、かつ効果的な方法がある(減らしたい奴から税金で金を吸い上げ、増やしたい奴に直接・間接に与えればいい)にもかかわらず、景気対策としてそのような方法が採られることは多分ほとんどない(と思う)ので、実は景気対策の実態が富の再分配というのは間違いなんだろうな、と思っています。
どこが?と言われると困ってしまうのですが・・・
景気が上昇している時は、「○ヶ月連続で景気回復」といいますよね。じゃあ、どこまでいけば景気が全快するのかと疑問に思います。高齢化、少子化が進む日本は、もっとブータンの提唱するGNHを、考えるべきだと思います。
いつも楽しみに拝読しております。
風船の中に空気を入れて温めると風船がふくらんで、「体積が増える」ように見えます。
空気の分子の量は増えていないのに体積が増えるのは、温められた空気の分子運動が活発になったせいだ、と説明されたような記憶があります。
これを「100人の村」に適用すると、一人ひとりの瞬間的な金の量は変わっていないのですが、この現金の動くスピードが上がることによって、村全体の富が増えたように見える、という現象が「景気の良い状態」と見えるのだと思います。
逆に、風船を冷やせば実際に風船がしぼむように、金の動くスピードが落ちれば、村全体の富も少なくなったように見えると思います。これを「景気の悪い状態」と言っているのだと思います。
そのため、為政者としては金の量を増やさなくても、それが積極的に動くようにすれば豊かになる(と感じられる)ので、なんとかして景気を刺激しようとするのだと思います。
ただ、それが政府のやるべき仕事なのか、私には自信が持てないのですが。
経済の成長を促す政策は、好不況に関わらず常に必要とされていることとの対象で。
もちろん、景気対策と経済対策とを兼ねる施策はあり得るけど、今何をすべきなのかを見失うと、どっちつかずになっちゃうんじゃないかなぁといったところです。
ご指摘頂いたような好循環が生まれれば、それに超したことはないのでしょうが、果たして今の日本がとっている景気対策はそうなるのかと思うと…どうなんでしょうかねぇ(笑)
名宛を忘れてしまいました。
>土建屋さん
風船の中の空気の容積を通貨として、分子量を価値とすると、僕の頭の中に形成されていたイメージとぴったり一致します。
すごい!
もう一度風船をモデルにしてたとえ話を考え直してみたいと思います。
なるほど…
景気対策は人々がどんどん経済活動を活発するように働きかけることです。
そういった状態であれば将来の履行を約束するのと引きかえに現在の消費をしていいのだと思うようになります。
現物のみの所有権の移転だけでは難しいことが債権債務の約束をすることで、現在は片方の約束だけしか行われなくても将来の約束があるために取引が成立しやすくなります。でも、これは将来自分の懐が暖かくなることを想像できなければできません。
傷病や高齢のために年金生活しかできない層は限られた範囲でしか生活できないと感じ、現物ももちろんですが借金なんて考えません。社会の少子高齢化でこの層が増えたことにより消費が伸びません。必要ではないし、払いたくないと言っているですから。また、現金を大事にしすぎるので物価が下がり、デフレがますます進行します。働いていれば商品が高く売れろ思いますが、年金生活では安く買いたいとなってしまいます。長い不況の原因かもしれません。
現在時点で政府がみんなに取引を約束する財政政策も、貸出を増加させることを狙った金利調節や通貨供給量の調節などの金融政策も、いずれにしても将来俺たちダメじゃんと思っていたら、景気対策は失敗します。
”インフレ期待”が景気対策のキーワードかと思います。
でも、議員にとっては地元民へのいいかっこしいの営業活動程度の意味になってくるのかもしれません。JALの問題もそうでしたけど、みんな自分だけがかわいいのでしょう。
すみません、正確には「分子量」ではなく、「分子の数」と書くべきでした。
「分子量」なら「1モルあたりの分子の重さ」のような意味になってしまいますね。
ところで、この風船モデルですが、もし本当に風船内の分子の数が変わらないとしたら、激しく運動しているうちにエネルギー切れになって、だんだん冷めて、いずれ容積は小さくなってしまうはずなのに、現実の経済はそうなっていないところを見ると、現実には外部からエネルギーが供給されている(温め続けている)のだと思います。
この「100人の村」の場合、村の会議で「一人で自給自足しないで、みんなで分業して交換しよう」というような合意がなされて、各々が得意分野に専念すれば、能率が上がるので以前よりも多くのモノやサービスが生みだせるはずです。しかしながら、それらを交換するときに人々が持っている現金総量は以前と同じ1万円なので、(約束手形とか借金などという制度がなければ)、モノやサービスの単価が下がるしかありません。そうすると、売り手にとっては儲けが増えませんが、買い手は1人が100円で買えるものが増えるので、村全体としては、以前よりも多くのモノやサービスを手にしていることになり、「村が豊かになった」ように見えると思います。村は豊かになっているのですが、現金の総量はあいかわらず1万円です。
(下につづく)
しかし質量保存の法則が働いているなら、こんな「うまい話」があるわけはありません。
これが起こるのは、外部からエネルギーが供給されているからだ、と私は思うのです。つまり、一人ひとりが生産しているモノには原料が必要で、村人はその原料(水や燃料や金属や魚介類や家畜等々)の気持ち(?)に構うことなく採掘・採集・屠殺しているわけです。こうして持ち込まれる安価な原料が「外部から供給されるエネルギー」の正体だと思います。もし原料たちが権利意識に目覚めて抵抗したら調達コストが跳ね上がり、いくら村人が分業したくても原料がないので、村は豊かにならないと思います。
したがって、1万円の現金を村の中で回転させているだけでは、どれほど為政者が刺激しても、いずれは風船のようにしぼんでしまうはずですが、安価な原料を常に調達できる環境にあるのであれば、その原料をモノやサービスに変える優れたアイディアが生まれれば、あとは原料を採掘するほど村全体が豊かになっていくように思います。現金の名目の総量は増えていなくても、モノやサービスが増えれば結果的に豊かさを感じられるでしょう。
政府の仕事は、そうした新しいアイディアや手法を邪魔しないような環境を、たとえば独禁法のようなものでメンテすることであって、(オーバーシュートへの対策は必要かもしれませんが)決して自ら風船を温めることではないとは思います。
と、独禁法違反をやる業界にいながら、偉そうに言ってしまいましたが。
トヨタ(世間を今騒がせているので微妙ですが)方針ではないですが、「危機こそチャンス」になるための、土台を作るのが政府の役目であると。とはいうものの、主導的になっては大抵日本の場合失敗しますので、期待するのが難しいのは承知ですが(米国と違い民間人が中に少ないからでしょうか)。逆に政府からは邪険に扱われてきた旧来サブカル的な分野(ゲーム、アニメだの)とかの方が勢いあったりしますし。何に投資すべき(税金を使う)かが難しいのは利害関係もあり、わかりますが。。
また、アラサー法務さんが8番や15番で「投資効果が1倍以下」になる景気対策に関して十分に述べていらして、そもそも景気対策は必要なのか、といったkataさんの最初の投げかけに合流されています。
社内のイントラネット掲示板などで、他の社員には「前のコメントを読め」と腹を立てることもあったのですが、私も同じことをやっていたわけです。
イノベーティブなコメントによってブログの付加価値を上げる、というのは難しいものです。
仕方がないので、別の比喩を考えてみました。
「景気対策とは鎮痛薬のようなものである。痛みを緩和してくれるが体を丈夫にはしない。丈夫な体は常に大切だが、それを製薬会社に求めるのはナンセンスであり、個々に鍛錬をすべきである。」
「景気対策とは消火活動のようなものである。被災者を救出し、延焼を止めてくれるが、家の再建はしてくれない。良い家に住むことは常に大切だが、それを消防署に求めるのはナンセンスであり、建築会社や金融機関との協議で実現すべきである。」
「景気対策とはあくまでも非常時に発動するものなので、採算度外視であり、投資効率は悪くて当たり前である。それによって経済を成長させようと考えるのはナンセンスであり、経済を成長させるのは民間の仕事である。」