新メンバーのオンボーディングの過程でダブルチェックについて認識合わせする機会があり、その時考えながら話していたこともあってちゃんと整理しようと思ったので、半年ぶりにブログを書いてみることにした。
ダブルチェックを育成の手段として位置づけてはならない。
もちろん、ダブルチェックを通じて学びを得られることに疑いはないし、ダブルチェックは業務の過程で自然に発生するものなので、人は誰しもダブルチェックを通じて成長することは疑いの余地はない。しかし、だからといってダブルチェックを育成の手段と位置づけられるわけではない。
炭鉱で石炭を掘れば筋肉はつくだろうが、炭鉱労働を筋トレと位置づける人がいないのと同じことだ。
ダブルチェックは、育成の手段としてはフィードバックを得られるまでのタイムラグが長すぎるし、そもそもフィードバックの網羅性も低すぎる。コメントもない修正結果から意図を汲み取れというのは時間の無駄だし、勘違いも生みやすいという意味でも育成手段としてはかなり劣悪な部類に含まれるのは疑いの余地はない。
上司が安心するためにダブルチェックを使ってはならない。
上司としては、自分が見ることで安心感を得られるのだろうが、部下の人数と上司の人数のバランスからして、上司によるダブルチェックがボトルネックになることは避けられない。
上司が安心したいのであれば、100%属人的な「自分が見る」という手段ではなく、「適切な能力を有する複数人がチェックする」というダブルチェックの仕組みにその根拠を求めるべきだ。もし、上司が常に最適なチェッカーなのだとしたら、それは育成または採用の失敗に他ならない。
チェック依頼者は、ダブルチェックを受けたことを理由に成果物の不備の責任が軽減されると考えてはならない。
チェッカーは、自分がチェッカーであることを理由に成果物の不備の責任が軽減されると考えてはならない。
ダブルチェックに取り組む二人が同じレベルの責任感をもって取り組まなければ、ダブルチェックを行う意味は損なわれてしまう。
チェック依頼者は、自信のない部分や迷った事項を積極的に開示し、チェッカーによる重点的なチェックを求めなければならない。
チェック依頼者は、修正された箇所がないことを喜んではならない。また、修正されたことを嘆く必要もない。修正された内容を確認し、納得したときは「なるほど」と思えばそれで良いし、納得できないときはチェッカーに質問すれば良い。
チェッカーは、どちらでもよいこと、効果に影響がないことに口を出してはならない。
チェッカーは、根拠を明確に示せない修正をしてはならない。
チェッカーは、指摘事項がチェック依頼者の自尊心や自信にダメージを及ぼす可能性があることを忘れてはならない。
では、ダブルチェックとは何なのかといえば、成果物の品質を向上させるために行うものだ。
当たり前のことではあるけど、余計な枝葉がついていることが多すぎる。
シンプルにやっていこう。
ダブルチェックは●●ではない
ダブルチェックは、育成の手段ではない
ダブルチェックを育成の手段として位置づけてはならない。
もちろん、ダブルチェックを通じて学びを得られることに疑いはないし、ダブルチェックは業務の過程で自然に発生するものなので、人は誰しもダブルチェックを通じて成長することは疑いの余地はない。しかし、だからといってダブルチェックを育成の手段と位置づけられるわけではない。
炭鉱で石炭を掘れば筋肉はつくだろうが、炭鉱労働を筋トレと位置づける人がいないのと同じことだ。
ダブルチェックは、育成の手段としてはフィードバックを得られるまでのタイムラグが長すぎるし、そもそもフィードバックの網羅性も低すぎる。コメントもない修正結果から意図を汲み取れというのは時間の無駄だし、勘違いも生みやすいという意味でも育成手段としてはかなり劣悪な部類に含まれるのは疑いの余地はない。
ダブルチェックは、上司の安心材料ではない
上司が安心するためにダブルチェックを使ってはならない。
上司としては、自分が見ることで安心感を得られるのだろうが、部下の人数と上司の人数のバランスからして、上司によるダブルチェックがボトルネックになることは避けられない。
上司が安心したいのであれば、100%属人的な「自分が見る」という手段ではなく、「適切な能力を有する複数人がチェックする」というダブルチェックの仕組みにその根拠を求めるべきだ。もし、上司が常に最適なチェッカーなのだとしたら、それは育成または採用の失敗に他ならない。
ダブルチェックは、責任分散の仕組みではない
チェック依頼者は、ダブルチェックを受けたことを理由に成果物の不備の責任が軽減されると考えてはならない。
チェッカーは、自分がチェッカーであることを理由に成果物の不備の責任が軽減されると考えてはならない。
ダブルチェックに取り組む二人が同じレベルの責任感をもって取り組まなければ、ダブルチェックを行う意味は損なわれてしまう。
ダブルチェックは、能力を証明する手段ではない
チェック依頼者は、自信のない部分や迷った事項を積極的に開示し、チェッカーによる重点的なチェックを求めなければならない。
チェック依頼者は、修正された箇所がないことを喜んではならない。また、修正されたことを嘆く必要もない。修正された内容を確認し、納得したときは「なるほど」と思えばそれで良いし、納得できないときはチェッカーに質問すれば良い。
ダブルチェックは、自己主張の場ではない
チェッカーは、どちらでもよいこと、効果に影響がないことに口を出してはならない。
チェッカーは、根拠を明確に示せない修正をしてはならない。
チェッカーは、指摘事項がチェック依頼者の自尊心や自信にダメージを及ぼす可能性があることを忘れてはならない。
ダブルチェックは●●である
では、ダブルチェックとは何なのかといえば、成果物の品質を向上させるために行うものだ。
当たり前のことではあるけど、余計な枝葉がついていることが多すぎる。
シンプルにやっていこう。
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